須藤靖(すとう・やすし) 東京大学教授(宇宙物理学)
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授。1958年高知県安芸市生まれ。主な研究分野は観測的宇宙論と太陽系外惑星。著書に、『人生一般二相対論』(東京大学出版会)、『一般相対論入門』(日本評論社)、『この空のかなた』(亜紀書房)、『情けは宇宙のためならず』(毎日新聞社)、『不自然な宇宙』(講談社ブルーバックス)、『宇宙は数式でできている』(朝日新聞出版)などがある。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「学者」「難しい理論」というだけで主張を鵜呑みにしてはいけない
この観点から私が違和感を抱いたのは「トイレ紙買いだめ理にかなった行為か ゲーム理論だと…」という朝日新聞の記事だ。もちろん、私は朝日新聞にうらみがあるわけではない(論座に寄稿していることからも明らかだとは思うが)。たまたま現在購読中の新聞が朝日新聞なので目についただけである。ありがちな現象であるため、あえて具体例として挙げているに過ぎず、この記事に関係した記者や専門家を批判する意図はまったくないことは念のため強調しておきたい。
さて、この記事タイトルの「理にかなった行為か」という問いから、読者がまず想像する答えは、「誰しも悪いと思っていながら買いだめする行為は、理にかなっていないはずだ」というものであろう。ところが記事は「経済学のゲーム理論にしたがえば、各個人にとって買いだめは理にかなっている」と述べる。これには私も同意する。というより、そんなことはゲーム理論など持ちだして説明を受けなくても、自明である。社会全体にとって望ましくない結果になるにもかかわらずも、個人はそれぞれ自分にとって望ましい選択をするのである。だからこそ、人々が買いだめに走ったわけだ。
とはいえ、それがこの記事の目指した結論ではない。なぜなら、前半で「ゲーム理論を使って解決のヒントを考えた」と述べられている。これを読んだ時点で私は「そんな事ができるわけないだろう」と首を捻ったのだが、結局その通りで、各自が理性的な行動を心がけましょうというのが結論のようだ。ところが無料で読める電子版では肝心の後半が読めないので、この記事は「ゲーム理論で解決できるのでは」という誤解を与えかねない。
ゲーム理論とは、複雑な現象を単純な数理モデルに帰着させ、一見合理的でないと思えるような人々の振る舞いを理解するおもちゃモデルに過ぎない。ここで、おもちゃモデルという表現に驚かれた方がいるかも知れない。少なくとも物理学においては、あえて枝葉末節を無視し現象の本質を説明する近似モデルをしばしば「Toy model」と呼ぶ。それは現象の近似でありながら本質を突いているという意味であり、決して侮蔑的な意味ではない。とはいえ、それを用いてさらに定量的な予言をすることを目的としたものではないのだ。したがって、おもちゃモデルによって買いだめが起きるメカニズムは理解できるにしても、買いだめを避ける具体的解決方法が得られるとは期待できないのである。
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?