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「もっとも創造性の高い物理学者」フィリップ・アンダーソン氏逝く

「more is different」の名言を残し、固体物理学と日本文化を愛した

高橋真理子 ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネーター

フィリップ・アンダーソン氏=2002年、東京大学物性研究所提供
 「more is different(多いと様相が変わる)」という名文句を編み出した米国の物理学者フィリップ・アンダーソン氏が3月29日に亡くなった。

 奇しくも2月に亡くなったフリーマン・ダイソン氏と同じ96歳だった。ダイソン氏は非宗派のクリスチャンで宗教に関する発言も多かったのに対し、アンダーソン氏は無神論者だったところは対照的だが、どちらも大きな影響を科学と社会にもたらした傑出した理論物理学者だった。

2人の師とともに1977年にノーベル賞受賞

 米国インディアナ州に生まれ、イリノイ州で育った。専門は、固体物理学、あるいは物性物理学と呼ばれる分野で、磁性の量子論のパイオニアであるヴァン・ヴレック・ハーバード大学教授のもとで学び、1949年から1984年までベル研究所に勤務、この間、1967年から1975年までケンブリッジ大学の理論物理学の教授も務めた。兼任が可能となったのはネヴィル・モット・ケンブリッジ大学教授の尽力のおかげだという。1984年にベル研を辞めてプリンストン大学教授となった。

 1958年、のちに「アンダーソン局在」と呼ばれる現象を予言した。結晶中を走る伝導電子は多かれ少なかれ不純物などによる「乱雑さ」の影響を受け、これが電気抵抗の原因になっている。この「乱雑さ」の度合いが強くなると電子は自由に動けなくなり、特定の場所にとらえられたようになる。つまり、局在する。これは実験で確かめられ、理論的な研究も進んで、いまや固体中の電子についての量子力学的な基本的原理と位置づけられている。

 この研究が評価され、1977年、「磁性体と乱雑系の電子構造の理論的研究」の業績でモット、ヴレックの恩師2人とともにノーベル賞を受けた。

 貢献は固体物理学の分野にとどまらない。質量の起源を説明するヒッグス粒子を予言して2013年にノーベル賞を受けたピーター・ヒッグス博士の1964年の論文には、アンダーソン氏の1962年の論文が引用されている。ここには光子が質量を獲得するメカニズムが説明されていた。このため「ヒッグス粒子」は「アンダーソン-ヒッグス粒子」と呼ぶべきではないかという声さえあった。

大きな影響を与えた「more is different」

 しかし、氏の関心は素粒子には向いていなかった。1972年にサイエンス誌に出た論文「more is different」は、1967年の一般向け講演の記録に手を入れたものだ。

箱根の彫刻の森美術館を訪れたときのアンダーソン氏=1999年、福山秀敏氏提供
 氏は日本での講演で「1967年は素粒子物理学の体制派の傲慢さが一時的に最高潮に達したときでした。彼らは政府の諮問機関の重要な地位を占め、海外渡航が自由自在にできる研究費を獲得し、雇用すればどこの大学にとっても利益となるようなオーバーヘッドを与えられていました。一方、物性物理学の同僚たちは、例えば国立科学アカデミーに認められるのも困難でしたし、エール、コロンビア、プリンストンなどの主要な大学の物理学科には、物性物理学に関して全く名目上の代表者がいるに過ぎませんでした」と背景を説明し、「素粒子物理学のみが真の知的挑戦に値する専門分野であり、他の分野、とりわけ私が愛着を持っていた固体物理学は化学の亜流であり、それ自体としては自然法則の知的構造を持っていない」という当時広まっていた見方への反論だったと解説している。

 こうした「私怨」があったにせよ、「全体は部分の合計ではない。それとはまったく異なるものだ。だから階層ごとに科学が必要だ」という主張は、自然を理解するうえで核心をつくものだった。「more is different」は、のちに勃興してきた複雑系の研究者たちのモットーとなって広まり、経済学を含む科学全体に大きな影響を与えるようになった。アンダーソン氏自身、1984年に米国ニューメキシコ州にできた複雑系を研究するサンタフェ研究所の設立メンバーとなり、理論物理学からコンピューター科学、生物学から社会科学に至る学際的な研究を後押しした。

論文分析から認定された「創造性No.1」物理学者

 氏は80年代に米レーガン大統領が進めようとした戦略防衛構想(SDI)に、科学者の先頭に立って反対した。米国の超大型加速器(SSC)建設にも反対した。巨大科学よりもスモールサイエンスを大事にすべきだという立場は一貫していた。

 物理学者の「創造性」を、論文がどれだけ引用されたか、その論文自身がどれだけ先行論文を引用しているかの二つの観点から計量化した2006年の研究論文では、並み居るノーベル賞学者の中でアンダーソン氏がもっとも創造性が高いと判定された。ちなみに、2位は

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