阿部圭一(あべ・けいいち) 国立健康・栄養研究所 所長
1983年、東京大学農学部修士卒。農学博士。サントリー中央研究所、東京大学醗酵学教室研究員、セレボスパシフィック社(シンガポール)副社長、サントリーグローバルイノベーションセンター取締役などを経て、2017年より現職。厚生労働省薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会新開発食品調査部会委員、日本農芸化学会産学官連携委員会委員長、国際生命科学研究機構理事。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
これからの100年に向け、AI栄養学や災害栄養などの研究に着手
皆さん、国立健康・栄養研究所をご存じでしょうか? 世界で最初に生まれた国立の栄養研究所で、今年9月に100周年を迎えます。初代所長は、医学博士で「栄養学の父」と称される佐伯矩(ただす)です。今日は、栄養研究所の100年の歴史を振り返り、次の100年に向けた革新について紹介したいと思います。加えて、この時期にぜひ知っておいていただきたい新型コロナウイルス対策のポイントもお伝えします。
100年前というと第一次世界大戦(1914-1918)が終わって間もないときで、世界的に栄養失調が大きな健康課題となっていました。栄養失調から生じる種々の症状を回復する微量栄養素として、ビタミンが次々と発見され、その功績の多くはノーベル賞受賞にもつながりました。まさに栄養成分の解明が時代の最先端研究だったのです。
当時の日本では脚気が国民病とも言われ、多くの方が命を落としていました。その原因が米胚芽に含まれるビタミンBの摂取不足であることが判明したため、佐伯博士は精米度の違いによる脚気予防効果について精力的に研究しました。その結果をもとに、白米が禁止され七分搗きの米が法定米になったのです。
また、佐伯博士は栄養士養成学校を設立し、世界に先駆けて栄養士の育成に努めました。こうした取り組みは、できたばかりの国際連盟からも高く評価され、国連会議での講演だけでなく、国際連盟からの要請により欧米の国々に栄養学の重要性を伝える講演活動を行いました。その結果、各国における栄養研究所設立の動きにもつながったようです。
こうした歴史を知れば、佐伯博士が「栄養学の父」と称されるのもよくご理解いただけるでしょう。なお、当時、「営養」の表記を「栄養」に統一する提言をしたのも佐伯博士です。栄養課題の克服こそが国の繁栄につながるという「栄」養学への大きな期待の思いがあったのではないでしょうか?
わが国の糖尿病有病者が2016年の時点で1000万人の大台に乗ったという集計結果が厚生労働省から発表されました。これは、国民健康・栄養調査から得られた結果です。この調査は75年前の1945年から毎年実施され、私たちの研究所でデータ集計を行っています。こうした長期間の国民調査は世界でも例を見ないもので、「健康日本21」をはじめとするわが国の健康施策の策定や評価に活用されています。
調査開始から10年間に、わが国の栄養状態が急激に改善されました。2000年以降に魚の摂取が減り始め、代わりに肉の摂取が増える傾向が認められています。この変化が和食離れにもつながっている可能性も示唆されており、食習慣の変化が私たちの健康にどのような影響があるのか、今後、検証する必要があります。
人生100年時代を見据えた経済・社会システムを実現するための検討が2017年に始まり、健康に関する考え方も大きく変わってきています。中高年の「メタボリックシンドローム(メタボ)」の予防だけでなく、高齢者の筋力低下や精神的、社会的な活動低下を表す「フレイル(衰弱)」の予防が新しい健康課題として重要視され始めています。フレイル予防に有効な治療薬は