須藤靖(すとう・やすし) 東京大学教授(宇宙物理学)
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授。1958年高知県安芸市生まれ。主な研究分野は観測的宇宙論と太陽系外惑星。著書に、『人生一般二相対論』(東京大学出版会)、『一般相対論入門』(日本評論社)、『この空のかなた』(亜紀書房)、『情けは宇宙のためならず』(毎日新聞社)、『不自然な宇宙』(講談社ブルーバックス)、『宇宙は数式でできている』(朝日新聞出版)などがある。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
新型コロナウイルスの画像を無神経に使いまわすな
テレビを見ない若者には関係ないだろうが、インターネットにふれることが難しい高齢者にとってやはりテレビは大切だ。このような状況だからこそ、テレビ的にインパクトのある映像を刹那的に見せ視聴率をあげる利益至上主義から脱却してほしい。
専門家「集団」が時間をかけて完成させた科学的知見は信頼できるものの、その途上での専門家の個人的解釈はおうおうにして間違っていることが多い。だからこそ、異なる意見をもつ専門家同士が互いに議論して、その真偽を検討することが不可欠だ。決して、テレビで解説してくれる専門家を信じるなと言っているのではない。科学とはそのような過程を経てやっと信頼できるレベルに到達できる性格のものなのである。その意味で、まだ検証されていない「最新」の仮説をあたかも真実であるかのように伝えたり、特定の専門家の意見だけを取り上げたりするのは危険である。
テレビ出演を承諾してくれる専門家は限られている。治療薬やワクチン開発の最前線で活躍している研究者にはそんな時間はない。また、混乱を避けるためには個人ではなく学界として統一的な見解を公表すべきだと考える専門家も多かろう。当然、学界の公式見解が発表されるには時間がかかるし、慎重な結論に傾きがちだ。その結果、日々テレビで紹介されるある特定の専門家の意見が「専門家集団」を代表する見解であるかのように誤解させてしまっているとしたら、大問題である。
その専門家にすべて丸投げするのでなく、提供する情報の信頼性は、自分たちが責任をもって独立に取材し確認しておくべきだ。後で検証し、場合によっては明確に訂正することこそ放送人が守るべき倫理である。特に今回のように、未知のウイルスに関する情報の場合はなおさらだ。
この時期にわざわざ人出が多いところを探し出して、街頭インタビューする意義が私には理解できない。渋谷の若者、巣鴨のお年寄り、パチンコ店に行列する人々、スーパーで買物する家族。これらの人々に、マイクを向けて直接喋ってもらうことで何を伝えたいのか。自粛すべきなのにそうしていない人たちがいると世間に訴えているのか、逆に、このような人たちに自粛を強いることが間違っていることを知らせたいのか。