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史上最大の「M9.5チリ地震」から60年

前日にM8.2の前震、本震は10分続いた。ハワイや日本は津波で大被害

ジョルディ・ボスケ フォトジャーナリスト

拡大現在のチロエ島のカラフルな家。大地震や津波に弱いこうした家がいまだに多い= 筆者撮影
 1960年5月21日午前6時2分、チリ南部に暮らす大半の住民たちはベッドが突然激しく揺れ出して目覚めた。35秒後、周囲はカオスと化した。

 首都サンティアゴの南500キロメートルにあるコンセプシオン市では建物の3分の1が崩れ、多数の人々が命を落とした。生き延びた人たちは、とてつもなく大きな地震(後にマグニチュード8.2と推定された)に何の警告もなく襲われたと思った。これがさらに百倍も大きなエネルギーのモンスター地震の前震であるにすぎないことなど知る由もなかった。

 翌22日、彼らは今日までに記録された地震の中で最大、マグニチュード9.5の地震を体験することになる。驚くべきことに揺れは10分間も続いた。

 コンセプシオン市と、そこからさらに南へ1000キロメートル行ったチロエ島の間のエリアがもっとも被害が大きかった。地震が起きたのは午後3時11分、昼寝をしていた数少ない人たちを除き、誰もが日常活動をしている時間帯だ。幸いにもその日は普通の日ではなかった。前日に起きた地震により多くの人が警戒していた。しかし、それでもこの出来事の大きさは誰も予見できなかった。

拡大1960年の地震で大きな被害を受けた当時のバルディビア=Pierre Saint Amand/NOOA

 バルディビアの小さな街では、何本かの道がまるで有名な地元のチーズでできているかのように引き裂かれた。

 チロエ島の地方新聞「ラ・クルス・デル・スル」は、島の主要都市であるカストロで、家の90%が破壊されたと伝えた。鉄道の一部はコルク抜きの形に曲げられていた。今でも、チロエ島のもっとも辺鄙なところに、ブタルクラ駅の遺跡がさびた電車の部品とぐにゃりと曲がった古い鉄道の釘とともにのこっている。この地域では地震が頻繁に発生するうえ、1912年にできた時代遅れの鉄道よりもバスの方が地元民に人気があったことから、チリ当局は島で鉄道を再建するのは賢明ではないと判断したのだった。

拡大チロエ島の奥地に今ものこる1960年チリ地震で破壊されたブタルクラ駅=筆者撮影
拡大チロエ島の奥地に放置され、さびついた電車の部品=筆者撮影

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筆者

ジョルディ・ボスケ

ジョルディ・ボスケ(Jordi Busqué) フォトジャーナリスト

1977年、スペイン・バルセロナ生まれ。バルセロナ大学とパリの天体物理学研究所で天体物理学者として働いたあと、写真家に。写真を通じて天文学と科学の重要性を伝えるとともに、ラテンアメリカ、とくにボリビア、ペルー、チリの消えゆく文化や社会変化をフォトジャーナリストとして追っている。

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