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日本型COVID-19対策「成功の謎」をどう捉えるか

新型コロナの感染者数・死者数が、欧米と比べて大幅に少ない要因を検討する

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 COVID-19を巡り「日本の成功」が注目を集めている。発端は欧米から発っせられた疑問符だった。「日本の対策は遅く緩いのに、どうして抑え込めたのか」と(英誌ガーディアン、米誌フォーリン・ポリシーなど;朝日新聞デジタル)。実際、人口100万人あたりの死者数は日本では約7.1、英国やスペインの約80分の1程度だ。

拡大日本は欧米と比較し、感染による死者は少なめだ。縦軸は対数目盛り。欧州疾病予防管理センターのデータ(6月1日)を編集部で整理

 感染による死者数の増加率も、先進国の中で最もよく抑制されている(図;アエラ・ドットJB プレス他)。国内ではこれまで、緊急事態宣言などを巡って批判が多かったのに、海外の評価を受けて急に風向きが変わるあたりは相変わらずだ。欧米メディアは「日本特有の」文化や習慣に帰す論調が主で、日本の専門家の中にもこれに同調する向きが多い。

 そういう要因もあるかもしれないが、この大きな数字の違いを見る限り、とても鵜呑みにできない。つまり差が桁違いすぎて、文化や習慣ではとても説明しきれそうにない。まだ未知の点が多いが、まずは生物学的な要因を科学的に評価したい。そのすべてを足してもまだ説明しきれない部分があれば、その時に社会的・文化的要因を考慮するのが順序だろう。

「何から何まで間違っていたのに」

 筆者の所属するカリフォルニア工科大学も、今再開に向けて、急ピッチで準備を進めている。5月末の生物・生物工学部の教授会でも、細かい感染防止対策が話し合われた。トイレのドアノブなど、多数が直接触れる場所が危ないので対策を、という意見が出た時のことだ。

拡大警戒を呼びかける「東京アラート」で赤色にライトアップされたレインボーブリッジ=2020年6月2日、東京都港区、恵原弘太郎撮影

 複数の教授が突然「日本の優れた衛生習慣」に言及したのには驚いた。ある女性教授などは「日本ではトイレで手を洗う時に、ハンカチを口にくわえてする」と証言した。事実だが、必ずしも衛生目的だけではないばかりか、衛生に役立つとも限らない。だが、そもそも欧米人は普段、ハンカチを持ち歩く習慣がないことも含めて、「なるほど、欧米メディアの論調の背景に、こういう評価が働いているのか」と妙に納得してしまった。

 欧米目線で見れば、日本の政策はもともと「ほぼ全て間違っていた」はずだった。たとえば(五輪の日程と絡んだ?)初期対策の立ち遅れ、入国制限の遅れ、法的強制力のない非常事態宣言、PCR検査の件数の少なさ、など。なのになぜこれほどうまく感染を抑え込めたのか。「不思議なサクセス」という疑問符は、サイエンス誌など一流学術誌にまで及んだ。

 日本人は元来「日本文化の神秘的なサクセス」ストーリーを嫌いではない。メディアも「謎の要因」などともてはやす。確かに未知の点は多いから、さまざまな分野からこれに同調する意見が続出して、ある意味、気分は良い(一例として「日本人の神話的思考」)。

 「日本は欧米とどこが違うか?」。そう問えば、目につきやすい答えとして、文化の特異性に帰する。これは社会心理学者でなくても予想できる。だがこの件に限っては、慎重になった方がいい。社会的要因というなら、人口密度、公共機関や繁華街・飲食店の混雑など、むしろマイナス要因が多いのではないか。罰則つきでロックダウンした欧米各国と、「自粛」で対処した日本は、社会的距離という点ではざっくり相殺されているはずだ。

 つまりなんらかの生物学的説明が必要なほど、大きな差があるということだ。これに科学的な答えを探すことが、COVID-19へのグローバルな対策につながる。また将来の生物ハザード(疫病流行)に備える意味でも役立つかも知れない。以下その要因の候補を見てみよう。


筆者

下條信輔

下條信輔(しもじょう・しんすけ) 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授。認知神経科学者として日米をまたにかけて活躍する。1978年東大文学部心理学科卒、マサチューセッツ工科大学でPh.D.取得。東大教養学部助教授などを経て98年から現職。著書に『サブリミナル・インパクト』(ちくま新書)『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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