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教育にもっと予算をつけよう——日本の政府支出は低すぎる

欠けている本質的な議論 半年遅れの9月入学移行は改悪だ

須藤靖 東京大学教授(宇宙物理学)

 一挙に過熱した9月入学移行の議論もやっと冷静さを取り戻したようだ。少なくともコロナ感染防止のための臨時休校で授業時間が減少した生徒に対する対応と9月入学とは全く独立に議論すべきで、その2つを混同してはならないとの考えは共有されたものと思われる。

 一方で、「9月入学は本来実現すべきだが、現実には乗り越えるべき諸問題が山積しているので、残念ながら実行は難しい」との見解が広く流布しているようだ。私はこれは全くの誤解だと信じている。

拡大9月入学をめぐる議論は長年続いている
 東京大学では2012年頃、当時の総長が秋入学を積極的に推進しようとし、私を含む多くの教員が反対した。幸いなことに9月入学は見送りとなった。その理由は、東京大学だけが半年間入学時期を遅らせて9月入学に移行することに何ら意味を見いだせなかったからだ。東京大学を含む日本の大学の現状には解決あるいは改善すべき多くの問題があることは確かだ。教育とは社会の変化に対応してあるいはむしろ先取りして、常に改善していくべきものだ。にもかかわらず、その具体的な展望を欠いたまま、9月入学さえ実現すればすべてが解決するかの如き、「打ち出の小槌」幻想でしかなかったのが東大の9月入学案だった。

 今回の9月入学移行の議論の発端は、小中高校生の授業時間の確保という全く異なる観点である。そしてそれ自体は何らかの方法で解決(合意)すべき重要な問題だ。しかしながら、ここでも9月入学があたかも打ち出の小槌であるかのように語られ、「このような混乱期であるからこそやりたくとも実現できなかった理想を実現しよう」との主張には全く同意できない。以下、その具体的な理由を述べる。

1 9月入学は外国留学したい日本の高校生にメリットがない

 現在の9月入学移行案は、日本の教育課程を「半年程度遅らせる」ことが前提となっている。その結果、失われた授業時間を取り戻したいと考えているからだ。とりあえず移行期の混乱は忘れて、現在より半年遅れでの9月入学が定着したとしよう。その場合、例えば従来なら2021年3月に高校を卒業するところ、2021年6月頃に卒業が遅れることになる。つまり、外国の大学に入学するのは同じく2021年9月のままだ。卒業と入学の間の数カ月のギャップはなくなるものの、それは卒業を遅らせただけに過ぎない。それがメリットにならないのは自明だ。


筆者

須藤靖

須藤靖(すとう・やすし) 東京大学教授(宇宙物理学)

東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授。1958年高知県安芸市生まれ。主な研究分野は観測的宇宙論と太陽系外惑星。著書に、『人生一般二相対論』(東京大学出版会)、『一般相対論入門』(日本評論社)、『この空のかなた』(亜紀書房)、『情けは宇宙のためならず』(毎日新聞社)、『不自然な宇宙』(講談社ブルーバックス)、『宇宙は数式でできている』(朝日新聞出版)などがある。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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