知られざる野鳥生態写真の先駆者、下村兼史の業績をしのぶ
2020年06月28日
2018年09月12日付で掲載した「100年前にカワセミを撮った男がいた!」で取り上げた下村兼史の写真展が、7月1日から今度は東京都内のフジフィルムスクエア写真歴史博物館で開かれる(開催案内はこちら)。2年前の写真展より会場は小規模だが、新たに展示される作品もあって、下村の写真の魅力を再認識できるようだ。前回の記事でインタビューに応じてくださった塚本洋三さんは、今度の写真展にもアドバイザーのような形で関わっているという。ご了解を得て、この機会に再掲することにした。
野鳥の写真撮影を楽しむ人が多くなった。そうした人々がこぞって被写体に選ぶのは、羽毛の青い輝きが美しいカワセミのようだ。そのカワセミの姿を約100年前に初めてカメラに収めたのが、日本の野鳥写真家の嚆矢となった下村兼史(しもむら・けんじ、1903~67、※1)である。その写真展が9月21~26日に東京・有楽町で開かれる(※2)。まだガラス乾板を使っていた時代から、重い機材をかついで野鳥を追った下村は何を伝えようとしたのか。写真展の実行委員会事務局長で、生前の下村とも接点のあった塚本洋三さん(78)に語ってもらった。
* * *
――野鳥ファンの中でも、下村兼史の名はほとんど知られていない。どんな人だったのか。
――撮影はカワセミの写真から始まったようだが。
――野鳥撮影をどのように学んだのか。
はじめは教わる人もいなかった。当時、アメリカのコダック社が出していたコダケリーという写真雑誌に、生態写真の撮り方が連載されていた。どうやって手に入れていたのか分からないが、友人が(下村と)二人で読んで、「随喜の涙を流した」と書き残している。海外の情報をもとに、試行錯誤しながら研究したのだろう。
――当時の撮影の様子は。
100年近く前に野鳥の生態写真を撮る苦労は、今と比較にならない。下村は1926年に佐賀から福岡に転居したが、それから何度も有明海へ撮影に行ったことが記録に残っている。当時は汽車賃が往復3円、ガラス乾板は1箱12枚で1円30銭、その他の経費も見込んで、5円(今の価値で1~2万円くらい?)がたまれば出かけていったという。車もない時代で、カメラのほかにレンズや三脚、ブラインド(目隠し)用のテントなどを持って、駅から1里(約4キロ)の道を干潟まで歩いたというのだから大変だ。しかも、1日に12回シャッターを押したらおしまいだから、潮の干満を見計らいながら、1回のチャンスにかける緊張はすごかっただろう。
――今のデジタルカメラによる撮影では、たくさん撮った中から良い写真を選ぶのが普通だから、まるで違う。
――その後、上京して各地の鳥を撮影するようになった。
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