香川県ゲーム条例への違和感と私たちがとるべき道
2020年07月10日
野球の話から始めよう。野球は明治時代に日本に入ってきた。正岡子規が野球好きだったのは有名である。プロ野球ができる前は早稲田、慶應などの大学、一高、三高などの旧制高校で野球がプレイされた。だが、最初は受け入れを拒む人たちがたくさんいた。筆者の出身高校の母体は旧制高校であったが、開校当初は野球部を作ることが認められなかったと聞いている。当時の校長先生が野球などという卑しいスポーツをやるのはけしからんと認めなかったのである。先生は特にsteal(盗塁)が気に入らなかったらしい。教育の場で盗むとは何ごとかということである。
一高の校長でもあった新渡戸稲造も新聞の「野球とその害毒」という連載記事に「野球は賤技(せんぎ)なり剛勇の気なし」などと書いて野球を非難している(日本の野球の推進役であった一高の校長が野球を非難したというので当時も話題になった。彼の前任者は野球を熱心に応援していた)。この連載記事では、当時の教育者や医者が野球はいかに教育に悪いか体に悪いかをとうとうと論じている。学校という教育の場で野球を止めさせようという趣旨の連載である(わが母校を含めていくつかの学校では実際に野球が禁止された)。その後野球が世の中に受け入れられてきて、その新聞は中等学校の野球の全国大会を始めた。それがいまの「夏の甲子園」になったのである。
ここまで書くと読者もお気づきかと思うが、その新聞というのは朝日新聞である。全国高校野球選手権大会を主催する朝日新聞も昔は反野球の急先鋒だった時代があるのである。そのことで朝日新聞を非難しても仕方ない(どの新聞も似たようなことをしでかしている)。新しいものの価値を認めて受け入れるのはいつの時代もむずかしいという例である。
本にしても、テレビにしても、携帯電話にしても、インターネットにしても、出てきた当初はなかなか受け入れらなかった。昔は目が悪くなるとして矢面に立たされたのは本だったが、それがいつしかテレビになり、いまはスマートフォンになっている。
香川県の県議会が
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