問うべきは「対面かオンラインか」ではなく、大学が果たしてきていた「機能」の実現
2020年08月04日
しかし、makiさんの「同級生もいない」「相談できる相手も先輩もいない」「一人オンライン授業に向かう(課題をこなす)」という発言から見えてくる真の訴えは、「先生、大学って授業のためだけに来てるんじゃないんですよ、同級生や先輩との関係も大事なんですよ」という「平時であれば大学のキャンパスで当たり前に構築できる人間関係の欠如」なのではないのだろうか。それが彼女の言う「大学生の日常も大事」というタグに集約されている。まさにキャンパスライフの欠如である。
大学教員を含む大学関係者がここで問わなければならないのは、makiさん――そして多くの大学生――の願いを叶えるために「いつ対面授業を再開させるか」ではなく、「そもそも“大学のキャンパス”という空間はどのような“機能(役割)”を学生に対してこれまで果たして来ていたのか」という「機能」の視点からの再考である。なぜなら、コロナの第二波の兆候が顕著にみられつつある中で、安易に「対面授業」に舵を切ることにはやはり慎重にならざるを得ないからである。実際、7月に京都大学や阪南大学などいくつかの大学で同じクラブや団体に所属した者のあいだでクラスターが発生している。
右の図は、対面授業が開講されているとき(左円)とオンライン授業が実施されているとき(右円)のそれぞれの機能を模式化したものである。通常の大学生活では、部活やサークルといった明らかな活動以外にも、キャンパスに集うことで生まれる言わば「隙間時間――授業の前後に友だちに会って他愛もないおしゃべりをしたり、そのままお茶をしに行ったり、あるいは飲み会をしたり――」が担保されている。自らの学生時代を思い起こしてみても、そちらに重きがかかっていたと言っても過言ではない。
そこには「大学教員」が介入する必要もなく、いわば学生が自分たちで自由に人間関係を構築していたのである。この「授業以外の部分」、特に「人間関係の構築」という役割、機能をコロナ禍の大学が果たせていないとmakiさんは訴え、多くの人が共感したのだろう。
これを裏付けるように、
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