須藤靖(すとう・やすし) 東京大学教授(宇宙物理学)
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授。1958年高知県安芸市生まれ。主な研究分野は観測的宇宙論と太陽系外惑星。著書に、『人生一般二相対論』(東京大学出版会)、『一般相対論入門』(日本評論社)、『この空のかなた』(亜紀書房)、『情けは宇宙のためならず』(毎日新聞社)、『不自然な宇宙』(講談社ブルーバックス)、『宇宙は数式でできている』(朝日新聞出版)などがある。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
研究者、政治家、報道関係者、国民それぞれが教訓とすべきこと
大阪府の吉村知事が8月4日に、ポビドンヨードを含むうがい薬が新型コロナウイルスに効くという記者会見を行った。この会見はその後大きな批判を浴び、吉村知事も翌日には撤回に近い火消し会見を行った。私は専門家ではないのでポビドンヨードの有効性そのものに関する議論は行わない。一方でこの件は、特にコロナ危機という未曾有の状況において、科学的であることの重要性を再確認する良い教訓を与えてくれる。
私は本欄ですでに、「民放テレビの新型コロナ報道がひどすぎる」「コロナ危機をさらなる危機にする専門家依存」「ワイドショーのコロナ報道に再度、反省を促す」など、特にテレビ報道に関する問題点を繰り返し提起してきた。今回はより具体的に、研究者、政治家、報道関係者、国民の4つに分けて、広く社会が共有すべき科学的リテラシーについて考えてみたい。
科学においては、それまで定説とされてきた理論や解釈が修正される、さらには全く覆されることがしばしば起こる。専門閲読者による査読を経て学術雑誌に掲載された論文であろうと、後にその結論が間違っていたことがわかる例は決して少なくない。むしろ、それらの繰り返しこそが科学が進歩する過程そのものだ。特に新型コロナウイルスのように、研究の歴史が浅い場合はなおさらだ。科学的理解の確立には、独立な研究者達による無数の試行錯誤の積み重ねが不可欠なのである。
そもそも、学会や雑誌を通じて論文を発表する目的は、得られた結果の真偽を他の研究者たちに問い、学界全体として研究を深めることにある。だからこそ、学術雑誌に掲載されたという事実だけをもって、その結果を鵜呑みにすることは科学的態度ではない。例えば理論物理学においては、学術論文として発表された数々の仮説のなかで最終的に生き残るものは1%にも満たないであろう。つまり、論文誌に掲載された理論仮説の99%以上は間違いなのだ。これは研究者であれば誰でも理解している。だからこそ、提案された仮説の批判や検証を通じて、取捨選択が行われやがては正しい理論が構築される。その過程で間違っていた仮説であろうと、あらゆる可能性を検討する意味において重要な役割を果たしている。
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