大阪府知事「ポビドンヨードうがい液」会見が提起した問題
科学と政治とポピュリズム……コロナ禍で危うさを増す3者の相互関係
下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授
「嘘のような話だが、ポビドンヨード液でうがいをすると、コロナウィルスが抑えられる」。そういう会見を吉村大阪府知事がして、うがい液が薬局の棚からたちまち消えた。「科学的根拠が薄弱。知事の勇み足パーフォーマンス」。それが大方の見方で、知事は釈明に追われた。メディアは政治的な話題性に注目したが、批判も忘れなかった。「取り上げるに足らず」として、いわば「既読スルー」したところもある。それはそれで、科学メディアとしてひとつの見識だと思う。ただ筆者はより広い視点からみて、いくつかの重要な問題が(結果において)提起された、と感じた。科学と政治とポピュリズム、この3者の関係が問われている。
大阪府の吉村洋文知事と、大阪はびきの医療センターの松山晃文氏=年8月4日、大阪府公館、本多由佳撮影
先に本稿の趣旨を明示しておく。問題のデータは未査読・未公刊で、あまりにも拙速だった。コロナ禍の緊急性を割り引いても、科学的に信頼できない。まずこの点は明確にしたい。ただどこが不足なのかを具体的に指摘する方が、科学リテラシーを上げる点から建設的ではないか。というのも今後(コロナ禍でも他の問題でも)、こういう科学的根拠の曖昧な扇動は繰り返されるだろう。そしてデータの問題点は、たいていの場合よく似ているからだ。
またより大局的に見ると、今回の出来事はふたつの異なる問題を提起している。まずひとつ目は、「政治・行政が、不確実なデータで市民を誘導してよいのか」という直接的な問題だ。そしてふたつ目、そもそも「研究の途中経過を、査読を待たずに公表すること自体の可否」という原則的な問題だ。そして今回のコロナ禍のような緊急事態では、このふたつがともすれば一緒くたになる。功罪それぞれあるのだろうが、きちんと線が引けるだろうか。
まずは今回の研究をおさらいし、科学的にどこが問題なのか、整理しよう。
はびきの医療センターの研究報告と問題点
吉村会見の根拠となった大阪はびきの医療センターの発表(8月4日付)によれば、「ポビドンヨードうがいで、宿泊療養者の唾液ウイルス陽性頻度は低下する」という。
大阪はびきの医療センターの発表データ
府の宿泊療養施設の新型コロナウイルス感染症の療養患者(41名)を、ポビドンヨードうがい液で1日4回うがいをする群と、うがいをしない群とに分けた。毎日、唾液検体を採取してPCR検査を実施したところ、うがいをした群ではすぐに検査陽性率が少なくなり、4日目には大幅に下がったという(図)。
さて、このデータのどこが問題か。以下にまとめる。
- まずサンプル数が極端に少なく、確定的なデータとはいえない。政治的な理由から、功を焦って都合の良い途中経過を公表した疑いがある。グラフを見る限り、特に4日目にはうがいをする群の陽性率は大きく減っている。元が陽性・陰性の頻度データだとすると、おそらく4日目の差は統計的に有意となるが、1、2例の恣意的な追加・削除で結果が大きく変わってしまう。(その上、PCRの陽性・陰性という判定自体が、ある境界線を引いただけで実は連続的な数値だ。そちらで検定する方が的確という指摘もあり得る。)
- (指摘されている通り)うがい無しを統制群として比較するだけで「ポビドンヨードうがい液が(特に)効果がある」と結論するのは、大きな論理飛躍がある。他のうがい液や水だけのうがいを統制群として比較しない限り、この結論は出せない。
- そもそも、うがいをした群とうがいをしない群への振り分けが公平であり、この2群が均質だったかどうか。サンプル数が少ないぶん、この問題はより大きい。新型コロナの場合、症状の個人差が大きい。また個人の感染サイクルの中でも、感染力が大きいのは発症日前後の数日だけと言われている。すると当然、この41名の中でも、唾液内のウィルス数(濃度)にも大きな差があったと考えられる。症状や発症日などとの関連で、真に偏りが生じないように振り分けられていたのか。
- (関連してさらに厳密にいうなら)実験法のスタンダードである「2重盲検(ダブルブラインド)法」に適合していたか。2重盲検法というのは、被験者だけでなく実験者側にも、研究の目的や仮説を伏せて実験をする方法だ。今回の状況ではそこまでは無理だろうが、少なくとも唾液採集者やデータ解析者には、特定サンプルがどちらの群になるかを知らせずに進めることはできたはずだ。
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