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海の温暖化で激変する「日本の食卓」の未来

海水温の上昇が、貴重な海の幸を消滅させるかも知れない

山本智之 科学ジャーナリスト・朝日学生新聞社編集委員

 「海の環境問題」について、具体例を挙げてみてください。どんな言葉が思い浮かびますか--? 講演などの際に、参加者のみなさんにそんな質問をしている。大半の人がまず挙げるのが「海のプラスチックごみ」の問題だ。「魚の乱獲」や「海の水質汚染」という人もいる。しかし、「海の温暖化」と答える人は、ほとんどいない。

冷たい水を好むサケ。温暖化が進むと、日本のサケは激減する可能性がある=山本智之撮影
 海水温の上昇がいま、日本の海の生態系を変えつつある。そして、私たちの食卓に将来、大きな影を落とす恐れがある。しかし、そうした危機感は、まだ広く共有されていないと感じる。

コンブの消滅、サケの激減

 コンブは、和食の「だし文化」を支えてきた重要な海藻だ。しかし、地球温暖化によって、日本の沿岸に分布するコンブは激減し、いくつかの種類は消滅してしまう可能性がある。

 冷たい北の海で育つコンブは、暑さが苦手な海藻だ。マコンブやミツイシコンブ、ナガコンブなど様々な種類があるが、北海道大学の仲岡雅裕教授らの研究チームによると、高いレベルで温室効果ガスの排出が続いた場合、海水温が上昇する影響で、ミツイシコンブなど6種が、日本の沿岸から姿を消す可能性がある。

クロマグロ。温暖化でさらに資源量が減る 恐れがある=山本智之撮影

 食卓になじみ深い魚であるサケも、海の温暖化が進むと日本国内の漁獲量は大幅に減る可能性が高い。サケが生息するうえで最適とされる水温は8~12℃だ。しかし、夏場を中心に、日本近海からサケの生息に適した温度帯の海域が徐々に失われていくことが、北海道大学の帰山雅秀・名誉教授らのシミュレーション研究によって明らかになった。このままのペースで温暖化が進むと、今世紀末には日本からサケの姿がほとんど消えてしまう可能性さえあるという。

 海水温の上昇による生物への深刻な影響として、新聞やテレビでもよく報道され、最も広く知られているのは「サンゴの白化現象」だろう。温暖化が進むにつれて、白化現象はさらに発生頻度が高まることが、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書でも指摘されている。

 しかし、海水温の上昇は、南の島々のサンゴ礁だけでなく、私たちの食卓を支えてきた「北の海の幸」にも大きな変化をもたらすと考えられるのだ。

サンマは温暖化でサイズが小さく

 高級な寿司ダネの代表格で、「海のダイヤ」の異名をもつクロマグロも、温暖化の影響が懸念される魚種のひとつだ。東京大学の木村伸吾教授らの研究によれば、海水温の上昇に伴って、ふ化直後の仔魚の生残率が低下する。その結果、乱獲で昔に比べて減ってしまったクロマグロの資源量は、さらに低下すると予測される。

ホタテガイ。海水温の上昇につれ、生息に適した海域が減ると予測される=山本智之撮影
 独特の甘みがあり、プリッとした食感の貝柱が寿司ダネや刺身などに幅広く利用されるホタテイガイも、水温上昇の影響が心配されている。ホタテガイは高い水温が苦手な北方系の二枚貝なのだ。

 北海道大学の柴野良太研究員(現・東京大学大気海洋研究所研究員)、藤井賢彦准教授らの研究チームによると、温室効果ガスの高排出シナリオに沿ったシミュレーションでは、夏場の高水温がネックとなり、2090年代には北海道を含む国内全域で、ホタテガイの生息に適した海域が失われてしまう可能性さえある。

温暖化が進むと、サンマは小型化すると予測されている=山本智之撮影
 「秋の味覚」としておなじみのサンマは、温暖化が進む将来、旬が「冬」へとずれこみ、サイズが小さくなると予測されている。東京大学大気海洋研究所の伊藤進一教授によると、温室効果ガスの排出がこのまま高いレベルで続いた場合、サンマのエサとなる種類の動物プランクトンが減少する。その結果、2050年にはサンマの体長は今よりも1cm、2099年には2.5cmも小さくなるという。

海水温の上昇、世界平均を上回るペース

 日本近海の平均海面水温は、世界平均を超えるスピードで着実に上昇しつつある。そのペースは100年あたり1.14℃だ。日本の海の温度は、昔に比べて全体的に「底上げ」されている。そして、わずか1℃の平均水温の変化が、海に暮らす生き物たちには大きな影響を与える。

 日本列島に沿って、様々な種類のサンゴが、その分布を北上させている。二枚貝のカキは近年、それまで分布していなかった南方系の種類が、国内各地で相次いで見つかっている。本州では、それまで冬の寒さで死滅していた熱帯・亜熱帯性の魚類が越冬する現象も多数報告されている。

2019年までの約100年間でみた海面水温の上昇=気象庁のウエブサイトから

 ただ、こうした「いま起きている海の異変」については、いくつか留意しなければならない点もある。海面水温の動向には、年単位での変動や、10年~数十年規模の変動も関わってくるからだ。異変が起こる背景として、地球温暖化の影響のほかに、これらの要素も加味して考える必要がある。

 たとえば、日本海では近年、暖海系の魚であるサワラが、大量に漁獲されるようになった。この現象については、海洋環境の10年単位の変動と、長期的な温暖化の両方が関与していると考えられている。ただ、全体として日本の海の温度は底上げされており、南方系の魚やカニ、サンゴなどが、生息域の北限を徐々に、しかし確実により高緯度の海域へとシフトさせつつある。

気づきにくい水面下の異変

 猛暑や豪雨の頻発など、私たちの身の回りでは近年、温暖化の影響を感じさせる様々な出来事が目立つようになった。サクラの開花日も、昔に比べて早まっている。しかし、陸上に暮らす私たちは、海の中で進行しつつある異変については、見過ごしやすい。たとえば、陸上で森林破壊が起これば人目につきやすいが、海底に広がっていた藻場が消えても、そうした「水面下の異変」には気づきにくいのだ。

 海に囲まれた日本列島に暮らす私たちは、陸上だけでなく、水面下の世界で起きつつある変化にも注目していく必要がある。そして、海に暮らす生き物たちの声なき声に、謙虚に耳を傾けていく姿勢が大切だ。海水温が上昇し、南方系の魚種が増えれば、それらを水産資源としてうまく活用する工夫も求められるようになるだろう。

静岡県・田子沖で取材中の筆者と、本日発売の新刊
 海の環境変化に正面から向き合い、これからも豊かな海の恵みを受け続けるためにはどんな適応策が必要なのか、真剣に考えるべき時期に来ている。

※ 本稿の詳しい内容は、本日8月20日に発売する講談社ブルーバックスの最新刊『温暖化で日本の海に何が起こるのか』で紹介しています。