「医療は逼迫していない」は誤り 政治は「とりあえずの安心」に逃げてはならない
2020年08月28日
「東京の医療は逼迫していない」
7月21日、安倍総理は自民党の役員会で、また菅官房長官も定例記者会見で、相次いでこう発言した。その日の東京都の新型コロナ新規感染者数は237人。3日ぶりに200人の大台を超えていた。テレビニュースから流れるこの発言を聞いた時、不思議な既視感に襲われた。
私が抱いた違和感とは何か。一つは、中・長期的な視座を持たずに“とりあえずの安心感”を発信しているに過ぎない発言であることだ。国の政策を担う責任者は、データの単なる観察者であってはならない。被ばく線量を示す「○○マイクロシーベルト」というその数値は、放射線が人体に効果を及ぼす10年後や20年後、あるいは次の世代までを見越して評価されねばならない。それが、責任ある立場にある者のデータの受け止め方というものだ。「ただちに影響はない」というコメントの出し方は、中・長期的な視点で国民の生命や健康を守る使命感のない無責任な発言と言わざるを得ない。
もう一つは、「ただちに」の影響を回避するために現場で命を賭して戦っている人に対する、配慮と感謝の欠如である。枝野官房長官が会見したこの時点で、原発の敷地内では東京消防庁に続いて全国の政令指定市から派遣された部隊が放水作業を継続していた。東京電力などの多くの作業員も、高線量被ばく環境下で決死の作業をしていた。
政府は国民に向けて、そうした危険回避の懸命の努力が現場で展開されているという事実をきちんと伝えるべきであって、“とりあえずの安心感”を与えることしか考えていないと受け止めざるを得ないような発言に、違和感を覚えたのである。
結局、枝野官房長官のこの発言は、この年の3月25日まで7回にわたって繰り返された。あれから9年4か月。政府首脳による「東京の医療は逼迫していない」という2020年7月21日の発言は、同じ誤ちを繰り返しているように思われた。
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