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ヒト受精卵のゲノム編集、問題を示唆する研究相次ぐ

染色体がまるごと「消失」することも

粥川準二 叡啓大学准教授(社会学)

 筆者は2017年9月2018年9月同年10月、人間の受精卵などで、ゲノム編集技術「クリスパー・キャス9(CRISPR/Cas9)」を使ってその遺伝子を編集すると、染色体DNAに「大規模な削除(large deletions)」などが生じうる、という科学者たちの主張などを紹介した。

 その後、中国の南方科技大学(当時)の賀建奎(フー・ジェンクイ)が、胚にゲノム編集を行うだけでなく、その胚を使って双子の女の子を誕生させたことが発覚し、世界中から非難の声が上がった。

ゲノム編集がDNAに削除を起こす可能性

 念のため確認しておこう。ゲノム編集とは、次世代にも伝わる特徴(遺伝情報)が暗号として書き込まれているDNAを、まるでワープロソフトで文章を修正するように、カットしたりペーストしたりする技術のことである。動物やヒトの場合、対象とする細胞の種類によって結果が異なる。体細胞にゲノム編集をしても、その結果はその個体に限定される。

クリスパー・キャス9による遺伝子編集のしくみ
 しかし受精卵や胚、精子、卵子で行えば、その結果は子孫にも遺伝する。後者は英語圏では「遺伝性ゲノム編集(遺伝しうるゲノム編集=heritable genome editing)」と呼ばれることもある。親の遺伝性疾患が子どもに伝わることを回避する手段にもなりうるが、親の望み通りの性質を持つ子ども――デザイナー・ベビー――をつくることにも道を開くだろう。

 多くの科学者や政府は慎重な態度を取っている。そのようなことの是非について社会的な議論が足りないうえ、その技術は未熟であり、また、ヒトの初期発生にはまだわからないことが多いからである。

 最近、新型コロナウイルス感染症の報道にまぎれてあまり注目されていないようだが、また再び、遺伝性ゲノム編集について、懸念をもたらす研究が3件報告された。いずれにおいても、ゲノム編集がDNAに予想外の削除を起こす可能性があることが示されている。以下、『ネイチャー・ニュース』『ザ・サイエンティスト』などを参考に、ごく簡単に紹介する。

 なお3件とも現時点では、論文の原稿(プレプリント)が「プレプリントサーバー」と呼ばれるプラットフォームで共有された状態であり、査読(同分野の専門家によるチェック)を通過していない。また、それら記事の記述がプレプリントの記述とは異なるように思われる部分もあるのだが、筆者には判断不可能であった。したがって以下の記述のなかには間違いもあるかもしれないこともご了承いただきたい。

3グループが「プレプリント」を公開

 第1のプレプリントはロンドンにあるフランシス・クリック研究所のキャシー・ニアカンらがまとめ、6月5日に公開されたものである。ニアカンらは、体外受精でつくられたのだが、妊娠・出産に使われなかった胚(余剰胚)を対象に、胚の発生や幹細胞の多能性に重要な役割を果たす「POU5F1(Oct4とも呼ばれる)」という遺伝子の一部をクリスパー・キャス9を使って除去した。ゲノム編集を行った胚18個のうち8個では、同遺伝子が位置する第6染色体で予想外の異常が見られ、そのうち4個では数千塩基対に及ぶDNAの「再配列」や削除などが見られた。

 第2のプレプリントはニューヨークにあるコロンビア大学のディエター・エグリらの研究で、6月18日に公開された。エグリらは、視覚障害者の男性に精子を提供してもらい、「EYS」という遺伝子に失明の原因となる変異があるその精子を、提供者の卵子と受精させて胚をつくり、さまざまなタイミングでクリスパー・キャス9のキットを注入した。EYSは、網膜色素変性症という眼の病気の発症に関与する遺伝子である。その結果、23個の肧のうち約半分で、EYS遺伝子が位置する第6染色体に大小の削除などが見られた。なかには、男性由来の同染色体が完全に消失していたものもあった。

 第3のプレプリントはポートランドにあるオレゴン健康科学大学のショウクラット・ミタリポフらが書いたもので、6月20日に掲載された。ミタリポフらは、肥大性心筋症という心臓疾患の原因となる「MYBPC3」という遺伝子に変異のある男性の精子を、提供者の卵子に受精させて胚をつくり、その変異を修正しようとした。86個の胚のうち半分近くでその修復に成功したが、その遺伝子がある第14染色体で大小の削除など何らかの異常が見られた。彼らは以前、変異の修正は、クリスパー・キャス9と一緒に注入した正常遺伝子ではなくて、卵子の正常遺伝子からのコピーによって生じると主張していた。今回その現象を「遺伝子変換(gene conversion)」と名づけ、ゲノムで観察された変化のうち約40パーセントはその遺伝子変換に起因する、と述べている。

ショウクラット・ミタリポフらのプレプリントから
 これらの研究を行った3グループはすべて、ヒト胚を研究目的でのみ使用し、妊娠・出産には使わなかった。また彼らは、それぞれの研究結果が査読付きのジャーナル(学術雑誌)で論文として発表されるまで、メディアでのコメントを控えているようだ。

 これまでゲノム編集では、「オフターゲット(目的外)効果(off-target effects)」といって、編集したい場所ではない場所のDNAを変異させてしまうことが懸念されてきた。しかしながら、今回の研究では、ゲノム編集という行為が、編集したい遺伝子を編集する一方で、その周囲のDNAにも影響を与えてしまうことが明らかになった。こうした現象は、英語圏では「オンターゲット効果(on-target effects)」と呼ばれ始めている。

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