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那覇軍港の浦添移転で失われる沖縄の原風景

米軍のために埋め立てられる辺野古・大浦湾と同じ構図

桜井国俊 沖縄大学名誉教授、沖縄環境ネットワーク世話人

 那覇市に暮らして20年になる。日常的に目にする米軍施設は、那覇軍港である。しかし米軍の艦船が、この軍港を利用しているのを見掛けることは、ほとんどない。なぜ、返還されてしかるべき跡地利用がなされないのだ、というのが、偽らざる県民感情であろう。なにしろこの軍港は、那覇空港に隣接する至便の地にある港だからだ。

2020年8月19日付琉球新報拡大2020年8月19日付琉球新報
 実は日米両政府は、この軍港を全面返還することを1974年に合意している。しかし、県内移設という条件がネックとなり、半世紀近くたった今日に至るまで返還に至っていない。普天間基地と同様の問題があったのである。そこに青天のへきれき、8月19日の沖縄の地元紙は、那覇軍港移設計画が急展開したことを報じた。

軍港移設「北側案」で合意

 那覇軍港の移設先は、1995年の日米合同委員会で那覇港の浦添埠頭(ふとう)地区とすることが決定され、1996年のSACO最終報告で日米両政府が合意した。米海兵隊普天間飛行場のキャンプシュワブ(辺野古)への移設を含む、嘉手納以南の11施設の返還に合意したいわゆるSACO合意の一つとして決定されたのである。

 2001年に当時の儀間光男・浦添市長がSACO合意受け入れを表明し、国と関係自治体(那覇市、浦添市)でつくる移設協議会は2003年、浦添埠頭地区北側に軍港を配置する「北側案」を了承した。ところが、2013年に移設反対を訴える松本哲治氏が浦添市長に当選し、移設計画は頓挫する。松本市長は2015年に受け入れに転じ、2017年には軍港と民港を一体とする「南側案」を掲げて再選した。そして2019年、移設協議会は「北側案」、「南側案」について事務的、技術的に検討することを確認し、議論が進められてきたところであった。

 8月18日に沖縄県庁で開催された県と那覇市、浦添市の三者トップ会談で、松本浦添市長は従来主張していた「南側案」を取り下げ、県や那覇市が推す「北側案」に賛成する意向を示した。浦添市が推す「南側案」について、「米軍が難色を示している」と日本政府が伝えたことがその背景にあるようだ。

 これで県と両市の三者が、事実上、「北側案」で合意したことになる。菅義偉官房長官は、8月25日の記者会見で、「北側案」を受け入れた松本浦添市長の決定に関して「苦渋の決断をされた。重い判断だ」と述べ、移設加速化につながる松本市長の決断を評価した。

 だが浦添移設は、玉城知事が反対する名護市辺野古での新基地建設と重なる面もある。県政与党には移設に反対する声も多く、玉城県政は新たな難題に向き合わなければならなくなった。

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筆者

桜井国俊

桜井国俊(さくらい・くにとし) 沖縄大学名誉教授、沖縄環境ネットワーク世話人

1943年生まれ。東京大学卒。工学博士。WHO、JICAなどでながらく途上国の環境問題に取り組む。20年以上にわたって、青年海外協力隊の環境隊員の育成にかかわる。2000年から沖縄暮らし。沖縄大学元学長。

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