科学はイノベーションのためだけにあるのではない
2020年09月14日
安倍晋三政権は、総理大臣の一念がありながらできなかったことが多い。憲法改定も、拉致問題解決も、北方領土返還も……。だが、その思いを曲がりなりにも形に残せたものがある。安倍流の科学技術政策だ。「アベノカガク」と呼んでもよい。
この会議には、科学技術政策を省庁の枠を超えた立場から企画立案し、調整する役割がある。改称は、世間にとって些細なことかもしれない。だが、科学者やその周辺の人たちにとっては無視できないはずだ。報道がもう少しあってもよかったのでは、と私は思う。
ちょっと言葉尻にこだわってみよう。「科学」とは、知的探究の試みを指す。これに「技術」を付け加えて「科学技術」にすると、科学を世の中の役に立てるというニュアンスが出てくる。これだけで十分に「科学」を実社会に生かそうという方向性が感じとれる。そこにさらに「・イノベーション」をくっつけたのだ。「イノベーション」(innovation)は本来、発想や手法を新しくするといった意味の言葉だが、日本では「技術革新」と訳されることが多いので、ダブリ感は否めない。
改称後、首相官邸で開かれた初の会議で、議長の安倍首相は会議名を長くしてしまった理由を説明している。「・イノベーション」には「単なる研究開発の促進のみならず、この成果を産業化等の出口へつなげていく」との思いを込めたというのである。「単なる研究開発」で終わらせないというのなら従来の「科学技術」でも十分のはずだ。「・イノベーション」の追加は、「産業化等の出口」を強調するメッセージと言えよう。
その指針は、少子高齢化からグローバル化、気候変動、そして新型感染症までも視野に入れており、問題意識は的外れでない。ただ、それらの解決に向けた道筋を明示したとは言い難い。むしろ、イノベーションの代表例として「一家に1台家庭ロボット」「世界中どこでも財布を持たずに生活OK」など、いかにもありそうな未来図を示したことで、かえって世間をシラケさせてしまったように思う。そしてまもなく、第1次政権は退陣した。
第2次安倍政権が発足したのは、2012年12月。ちょうど山中伸弥・京都大学教授のノーベル医学生理学賞受賞で日本社会が沸いていたころだ。安倍首相は翌年1月の所信表明演説と2月の施政方針演説で、山中グループが開発したiPS細胞(人工多能性幹細胞)の話をもちだしている。どちらとも、iPS細胞をアベノミクス3本の矢の一つ、「成長戦略」の目玉商品に位置づけた。前者では、それが創薬研究にも使えることに触れて「実用化されれば…(中略)…新たな富と雇用も生み出します」と期待感を示している。
この足どりを踏まえて、総合科学技術会議の看板塗りかえを読み解くと、安倍首相の科学観が浮かびあがってくる。そこに見えるのは、科学の値打ちはイノベーションにつながってこそ高まる、という考え方だ。そのことは、一連の演説や挨拶で科学技術を語るとき、「成長に貢献するイノベーション」「富と雇用」「成長戦略」「産業化等の出口」といったキーワードをちりばめていることからも明らかだ。アベノカガクは、ただ科学技術の経済効果を重視しているだけではない。それが日本経済の再生を促し、自国の経済成長に寄与してくれることを求めていると見てよさそうだ。
私は、ここで科学をイノベーションに結びつける科学政策を否定しようとは思わない。「イノベーション25」にもあるように、私たちの前には少子高齢化やグローバル化、気候変動、新型感染症などの難題が山積しており、そこで解決の決め手となるのは科学だからだ。だが、科学は最初から「出口」が見えているわけではない。
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