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政治家が「学問の自由」を諭すドイツ

ドイツに住んでわかった西欧と日本の価値観の根本的な違い

林正彦 天文学者、日本学術振興会ボン研究連絡センター長

菅政権による日本学術会議の新会員6人の任命拒否に抗議するデモ=2020年10月3日、東京都千代田区、高橋真理子撮影
 ドイツに住んで2年になる。日本学術会議会員の任命拒否というニュースが飛び込んできたとき、「ドイツでは起こり得ないな」というのが私の第一印象だった。菅首相の今回の拒否で「学問の自由」が侵害されたと捉える人も多い。実は私は、ドイツにきて「学問の自由」についてこの地の政治家たちから学ぶことになった。その経験をこの機会に紹介したい。

政治家が学者に向けて「学問の自由」を演説

 ドイツの政治家は「学問の自由」をよく口にする。日本では、この言葉は研究に対して何らかの圧力を受けたと思ったときに学者が言う例がほとんどで、政治家から聞いた経験が私にはない。ところがこの国のリーダーたちは、「学問の自由」の重要性について、頻繁に学者に向けて演説しているのである。

ボン大学創立200年記念式典で演説するシュタインマイヤー連邦大統領=2018年10月18日、ボン(ドイツ)、筆者写す

 最初にそれを聞いたのは2年前、ボン大学の創立200年記念式典でのことだ。主賓のシュタインマイヤー連邦大統領は、式辞のなかで、ボン大学がこれまで果たしてきた役割の重要性を述べたが、一方で全体主義を避けることができなかったドイツの現代史に関して、「大学」はその重要な役割を果たせなかったという反省も語った。

 では大統領が「大学」に求める重要な役割とは何だろうか。大統領の話をたどると、大学は民主主義の場であれということだった。そのために、大学は自由の場でなければならない。しかし自由と言っても、人権が保護されなければ民主主義は機能しない。民主主義や自由がどうあるべきかは、このように常に議論のあるところだ。たとえば言論の自由を例にとれば、何を言うことが許され、何を言うことが許されないかは常に議論がある。これを議論し、民主主義や自由の何たるかを探求して規準を示すのは大学の役割だ。そこには学問の自由が必要となる。それによって研究者は自由に真理を探究でき、人は民主主義が何であるかを学ぶことができる。そして同時に、大学には責任も生じる。それは民主主義の将来に対して負う責任だ。つまり、大学は民主主義を守る責任を負っている。大統領の演説の趣旨は、このような内容だった。

 感動的な演説だった。これは研究者という専門家に対して、その能力を存分に発揮して民主主義のあり方を研究し、それを人々に広めなさいと言っているのだ。もちろん研究者間で意見の一致しないことは起こるが、だからこそ研究者は一切の干渉を排除して真実を追求する必要があり、また議論を通して合理的に結論を導く必要もある。その研究にお金が必要なら政府は一定の資金を援助するが、だからと言って干渉はしないということである。

ライプニッツ賞の受賞者たちとカリチェック連邦教育研究大臣(中央の黒いジャケットを着た女性)=© BMBF / Hans-Joachim Rickel

 シュタインマイヤー大統領の演説から半年後に、今度はベルリンでライプニッツ賞の授賞式に出席した。そこでは、カリチェック連邦教育研究大臣がまたしても「学問の自由」の話をした。しかも、「学問の自由は我々の民主主義の根幹だ」といきなり断言している。

 ドイツの政治家は、

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