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とにかく普通じゃない『研究者の結婚生活』

交通費は500万円!? 一度も一緒に暮らしたことない!? 結婚式でも研究発表!?

高山善光 日本の研究者出版代表、研究者

 「奇人・変人」が多い。理屈っぽくて面倒。でもお金はもってそうだし、知識も豊富……。世の中の人たちが見る研究者のイメージはだいたいこんな感じだろうか。しかし、この中でひとつだけ明確に間違っているものがある。実は、ほとんどの研究者にはお金がない。特に若手研究者は圧倒的にお金をもっていない!

新刊『研究者の結婚生活』。電子書籍版とオンデマンド印刷版がある
日本の研究者出版

 3年ごとに職場を変えたり、アルバイトのような仕事をしながら就職口を探すのが普通だったりと、金銭的な安定が望めないのが現在の日本の科学技術や知的文化を支える研究者なのだ。おかげで「それでどうやって結婚するの?」と言われるほど。

 そこで、研究者たちの実際の結婚生活をのぞき見できる本を出しました。日本の研究者出版の『研究者の結婚生活』。研究者の告白だけでなく、配偶者の赤裸々な体験談まで収めている。

夫は売れない芸人だったかしら?

 もちろん、ある程度の年齢を重ね、准教授とか教授といった安定した立場にいる研究者であれば、一般の平均的な就業者よりは賃金が出ているかもしれない。しかし、その他の大勢の(若手)研究者は決してそうでない。「夫は売れない芸人だったかしら?」。本書に登場する研究者の妻は、そんな勘違いをしてしまう。

『研究者の結婚生活』(日本の研究者出版刊)から。漫画・保坂あけみ

 まだ若い20代だった頃の夫は、研究者の世界を甘く見ていたそうで、よく「結婚後は仕事をやめて家に入れ」と偉そうに言っていたらしい。だが、辛酸をなめつくした今では、もう就職をあきらめて「専業主夫になってもいい?」とぼやいているとのこと。ミイラ取りがミイラになったような話である(ちがう)。

 そんな彼女の夫である本人の声も収録している。複数の大学で非常勤講師をしている、社会福祉研究者の北野良生さん(仮名)だ。この北野さんの現状をまとめてみると、今はこのような状態であるらしい。

大学非常勤講師の時給は、だいたい5000円~6000円。少し高めに聞こえるかもしれないけど、授業回数は1科目15回。これは半年で終わる分量なので、半年で18万円の収入になる。これを1年続けることができたとしても約36万円。

 1科目の収入がなんと18万円。年間に13科目も授業をやっていて、それでようやく年収が234万円になるらしい。北野さんの妻は、夫が研究者であることをまわりに告げると「たくさんお金を稼いでいる」と勘違いされるそうだが……事情をうちあけると驚かれ、同情までされてしまうという(ただ、断りを入れておくと、こうした過酷な非常勤講師の仕事ですら厳しい競争の側面があるので、こんなに多くの授業数を持てること自体が、非常勤講師界ではスーパーエリートだといっても過言ではない)。

現代の「織姫と彦星」なの?

 と、こんな生活をしていると、いろいろな悲喜劇が起きる。ある研究者の妻は、週末に「遊園地にいこう!」と夫を誘ったところ、「俺が遊園地にいくメリットは?」と、理屈っぽく返された。また別の研究者は、結婚指輪をめぐって一悶着があったそうだ。結婚指輪が欲しいと妻が言ったところ、「お金がかかるうえに雑菌がたまりやすい」「日本にはもともとない文化だ」などの理由を並べ立てられ、「この小さな金属の塊のために何十万円も払う必要を感じない」と反論してきたという。

『研究者の結婚生活』(日本の研究者出版刊)から。漫画・保坂あけみ
 いやはや、こんな家庭内の実情をばらして、ほかの研究者に風評被害がおよんだらまずい。なので、いい話も混ぜておこう。

 結婚して8年間、まだ一緒に妻と暮らしたことのない夫婦がいる。国立遺伝学研究所の後藤寛貴さんだ。クワガタ虫の研究者で(最近はカブト虫の論文も出したようです)、小学校で講演などをすると目を輝かせた子どもたちに囲まれて大人気らしいが、恐ろしいほどの愛妻家である。インターネットを介したテレビ電話で、今でも妻に「かわいい」を連呼しつづけているらしい。

 俗に「美男美女も三日まで」という言い方があるが、後藤さんは延々と、心からの「かわいい」の言葉をプレゼントしつづけている。毎日、心が込もった「かわいいよ♡」「イケメンだね♡」という言葉を聞いて老後まで暮らす人生は、さぞ幸せに満ちたものだろう。世の夫婦が真似したいところだ。

 遠距離結婚ではあるものの、後藤さん夫妻の場合は月に1回ほどの逢瀬はかなうらしく、七夕の日にしか会えない織姫と彦星よりはましだ。だが、このためにかかる交通費などをもろもろ合わせると、すでに合計で500万円を超えているらしい。「その遠距離結婚をやめて同居をすれば高級車が買えますよ」と助言したいところだが、それにはまず研究者の就職事情がもつ問題が解消されるしかない。会社員の単身赴任なら、会社から交通費の手当てなどが出るケースもあるかもしれないが、そもそも雇用保険すらほぼもらえない若手研究者にとって、この自腹での出費はかなりつらいだろう。

研究者はなぜ別居婚が多い?

 先に登場した北野さんも、この後藤さんも、実は豊富な研究業績をもっている優秀な研究者である。ところが後藤さんの場合、これまでに2度、仕事を失っている。研究界が解決せずにきた制度的問題に巻き込まれた人生の悲劇と言っていい。

 本書に登場している研究者のほとんどが、別居婚の危機を経験したり、実際に別居を続けたりしている。なかにはアメリカとタイで夫婦と子どもが別々に暮らし、親戚から「国際離散家族」と嘆かれている研究者もいる。なぜこんなことになるかと言えば、それは就職できるポストが圧倒的に少ないためだ。たとえば、自分の専門の研究員ポストが国内で年に3つ募集されていればマシだという分野に、何十人や何百人が応募して席をとりあうケースも少なくない。

 こういうとき、おもな選択肢は3つ。研究者をやめるか、外国で研究職を探すか、非常勤講師やアルバイトをしながら粛々と次の応募を待つか、である。さらに、たとえ就職できたとしても、3年で契約終了という状況も増えている。こんな話を聞けば、気を失いそうになる方もいるかもしれない。おそらく同じ研究者同士でも「お前ら、よくそれで結婚したな!」と、つっこみを入れるはずである。だが北野さんの妻によると、そんな欠点を補っても余りある魅力が研究者にはあるらしいので、どうか本書を読んでその雰囲気を感じとってほしい。

これで日本はダイジョウブ?

 そしてこんな状況にもかかわらず、本当に「この世界を良くしよう」との決意を持って研究に打ち込む研究者もいることに着目してほしい。それどころか、この業界に浸りきってしまい、「この制度のいったい何が問題でしょうか?」と、感覚が麻痺してしまった研究者もいる。「こんな罰ゲームをなぜ私が受けるのでしょうか……」と悲観できる研究者は、むしろ現実を見据えることができているのかもしれない。だがそれゆえに疲労もたまっているだろう。時には早く寝るかストロング系の酒でも飲んで、現実逃避することをおすすめする(※くれぐれも飲みすぎには注意を)。

研究者すごろく 『研究者の結婚生活』(日本の研究者出版刊)から

 本書からは、研究者の世界を「結婚」という切り口で見ることによって、現在の日本の科学戦略が抱えている問題が見えてくるかもしれない。こんな生活を強いられて、この国の研究力が向上するのか?と疑問にもつ人も出てくるだろう。

 ほかにも本書には、大学院在籍中に出産した女子学生や、結婚後に研究をやめるか悩みはじめた男子学生など、駆け出しの研究者からすでに何本も業績を出している中堅まで、さまざまな研究者が登場する。民間企業に勤めていた40代で大学院への進学と結婚を決めたり、結婚式までも研究発表の場にしてしまったり、科学的真理を追究する研究者なのに採用を願って内緒で「おみくじ」にすがったりと、笑いあり感動ありの豊富な話題がそろっている。読みながら追体験した気分になる面白い出来事もいっぱいだ。

 笑える話も多かったけど、でもそもそもなんでこんなに苦しい思いをしなければならないのだろう? 科学は社会を本当に幸福にするのだろうか? 豊かな人生とはなんだろう? 愛とはどのようなものなのだろう? 幸せな家庭ってなんだろう? 読み終わったあと、こんな疑問を突き付けられるかもしれない。本書には、研究者でなくても考えさせられる材料がたくさん詰まっている。