宗教改革の時代から弾圧と闘ってきたフランスの漫画との違い
2020年12月22日
10月16日、シャルリー・エブド誌に掲載されたムハンマドの漫画を、『表現の自由』の教材として生徒に見せたパリの中学教師、サミュエル・パティさんが、イスラム過激派の男に首を斬られて殺害されました。
次の日、フランスの出版社から、漫画本の出版についてインタビューを受けました。良い機会だと思い、何%のフランス人がパティ教師の行為を支持しているか聞いてみました。60%くらいだろうと予想していたのですが、80%近くのフランス人が支持しているとの答えに驚きました。
マクロン大統領は、スピーチの中で、フランスでは、『表現・報道の自由』に、批判し冒瀆(ぼうとく)する自由、風刺漫画を見せる自由も含むと言い切りました。しかし、危惧していた通り、イスラム世界から反発がありました。ニースではイスラム過激派のテロでフランス人3人が犠牲になり、イスラム圏ではフランス製品のボイコットが始まりました。2005年のデンマークでのムハンマド漫画事件、2015年のシャルリー・エブド事件後にも起こったイスラミストの報復行動です。マクロン大統領も、フランス国民も覚悟していたことでしょう。
日本では『テロは許されるものではないが、『表現の自由』を盾に、人が強く信じている宗教を冒涜する方も悪い』というのが平均的な反応でしょう。私にとって残念なのは、マスコミ、特に友人漫画家や、漫画評論家までもがこういった意見を持っていることです。
私は朝日新聞のAERA(現在は朝日新聞出版発行)と、フランスの同様にハードな政治・経済週刊誌クーリエ・アンテルナショナル(ルモンド紙傘下、17万部)にレギュラーとして30年以上漫画を描き続けてきた経験から、日仏両国民の『表現の自由』に対する考えの違いがよく分かります。フランスでは、私の漫画がボツにされたことは一度もありません。しかし、日本では、フランスでは考えられない理由で、担当デスクにボツにされます。憲法が『表現の自由』をうたっている以上、検閲はあってはならないのですが、デスクの一存でボツにされ、その漫画は永遠に闇に葬られます。各新聞社の『自己検閲』という壁があるのです。
ヴォルテールが言っているように、『私はあなたの意見に反対だが、あなたがそれを言う権利は命を張っても守る』というのが民主主義ならば、あらゆる角度の意見を紹介するのがジャーナリズムの役目だと私は考えています。シャルリー・エブドのムハンマド漫画は、下品だし、イスラム教に関する知識も薄っぺらで嫌いなのですが、描く権利、掲載する権利はあると思っています。
近代漫画の歴史はグーテンベルグの印刷術の発明に始まります。彼がまず印刷したのが聖書です。高価な手書きの聖書に代わって、安価な印刷聖書が出回るに従って、聖職者を通してではなく、聖書を通してのみ神を知ることができると考える神学者が現れ、ローマ・カトリック批判、宗教改革が始まります。教会の財政維持のため発売されていた、言わば天国行きの切符、免罪符も厳しく批判されました。その免罪符も印刷されたものです。またカトリック批判のチラシも大量に印刷され、配られました。
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