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日本で生みだされた「量子コンピューターの礎」

世界で初めて「超伝導量子ビット」を創出した2人の企業出身研究者に祝福を

伊藤隆太郎 朝日新聞記者(西部報道センター)

 まるでひとつの事件のようなインパクトをもって、科学ニュースが世界を駆けめぐったのは2019年秋だった。「人類は量子超越性を獲得した」。米国のIT大手グーグルが、現代のスーパーコンピューターを遙かに超える計算速度を量子コンピューターで実現したと発表した

蔡兆申さん(左)はいま東京理科大教授。中村泰信さんは東京大教授だ=2020年12月9日、埼玉県和光市の理化学研究所、上田幸一撮影

 やがて後世の歴史家は、これを科学史上の転換点として記述するかも知れない。グーグルによれば、最新スパコンで1万年かかる計算を、量子コンピューターは約200秒で終えたという。従来型のコンピューターではどんなにがんばっても実用的な時間内に計算できないような難問が、量子力学を応用したコンピューターでは短時間に解けることを「量子超越性」という。

 記者会見した研究チームは「ライト兄弟の初飛行のような大きな一歩」と胸を張った。そうであるなら、後世の歴史家にはぜひ、この成果が日本生まれの技術を礎としていることも忘れずに書きとめてほしい。量子コンピューターの心臓部にあたる「超伝導量子ビット」という基本素子が、世界で初めて開発されたのは1999年のこと。当時、つくば市にあったNECの基礎研究所で研究員をしていた蔡兆申さん(68)と中村泰信さん(52)の偉大な業績だ。グーグルの発表から20年前のことになる。

蔡さんと中村さんに朝日賞

 蔡さんと中村さんに、朝日新聞社は今年度の朝日賞を贈る。今日の朝刊(1月1日付)で発表した。運良くこの調査の担当者となった自分も心からうれしく思うし、胸を張って示せる選考結果でもある。けれども、記事の準備に理化学研究所へ2人を訪ねたときは、最初におそるおそる訊いた。「実はご不満ではありませんか?」

 決して奇をてらうつもりはなく、本心から心配だった。こころよく賞を受けていただける了解は事前に得ていたものの、本音では「グーグルの成果があったから、授賞を決めたのか」などと、がっかりしていないかと。まるで20年間も放置しておきながら、グーグルの成果が出たとたん、その威を借りて手のひらを返したようにも見えそうで……。

 笑って、蔡さんが答えてくれた。「いいえ、そんなことはありませんよ。NEC時代も記者会見をするたび、いつも『これがなにか役に立つのか?』と質問されていましたから」。そして、当時の所長や幹部らが毎回、とりなすように「我々のビジネスに直結しているのです」と、根気強く説明していたそうだ。隣で中村さんが笑顔でうなづく。

蔡さんと中村さんが開発した超伝導量子ビットの顕微鏡写真。

 だがこの際、率直に詫びたい気がする。やはり私たちは、よく分かっていなかったのだ。当時、科学誌ネイチャーに発表された2人の論文タイトルは「Coherent control of macroscopic quantum states in a single-Cooper-pair box」というもの。つまり、クーパー対という超伝導状態の電子の組み合わせを使って巨視的量子系でコヒーレント制御に成功した、という報告である。「なんのこっちゃ?」というのが、おそらく当時の受け止め方ではなかったか。

 もちろん、論文の前文にはしっかりと、この成果が量子コンピューターの基本要素となりうる可能性が記されている。しかし「そうは言われても……」と頭を抱えただろう。なぜなら本当に量子コンピューターを実現するには、まだ幾重もの高い壁が立ちふさがり、そう簡単に辿りつけそうには見えなかったはずだから。当時の量子ビットの作動時間は極端に短く、また周囲の電磁場などに影響されてすぐに壊れるなど、極めて不安定だった。20年でよくここまで来たものだと驚き、感動する。

量子コンピューターのしくみとは

 さて、ここで急ぎ足でおさらいをしたい。そもそも量子コンピューターとは、どんなしくみなのか。

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