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報ステ「菅首相インタビュー」に見るテレビ朝日の忖度

この政治家にしてこのマスコミあり

須藤靖 東京大学教授(宇宙物理学)

 緊急事態宣言発令を受け、1月8日のテレビ朝日「報道ステーション」に、菅義偉首相が出演した。その発言には何も目新しいものはなく、予想通りの内容の薄さであった。しかし、今回はそれを批判するのが目的ではない。そこに同席したアナウンサー、テレビ朝日政治部長、コメンテーターたちの質問やコメントへの失望を述べたいのだ。朝日新聞社の系列であるテレビ朝日の番組に対する批判であるからこそ、この論座はまさに適切な場であろう。

菅義偉首相が出演した1月8日夜の報道ステーション=テレビ朝日のサイトから
 番組を見逃した方も、テレビ朝日のサイトから視聴できる。簡単にまとめておけば、緊急事態宣言、医療体制、東京五輪の3つのテーマが設定され、それに対して、アナウンサーの司会のもと、菅首相が意見を述べるというスタイルであった。さすがに、繰り返し批判されている下を向いた原稿棒読みは避けていたものの、単なる感想を並べ立てる迫力のなさは相変わらずだった。時折、うまく言葉が出てこない時には、アナウンサーがそれを補ったり、先回りしてフォローしていた。結果的に、首相よりもアナウンサーのほうがはるかに長時間発言し続けたはずだ。また、首相の発言には、多くの国民がより深く聞きたいと思うような曖昧な要素だらけであった。にもかかわらず、横にいた2名は、鋭く問いただすわけでもなく、あたかも国会での与党代表質問を彷彿とさせるような遠慮がちの質問しかできなかった。

 例えば、緊急事態の対象拡大や延長の可能性について尋ねられると、「1カ月頑張ってやらせて頂きたい」。1カ月後に結果が出なければどうするつもりかとの質問にも、「仮定の質問には答えられない」との既視感のある回答。それらをさらに追及せずに、それで良しとする出演者には唖然とさせられた。

大学院の学位審査の場合は

 とはいえ、政治・国際でも経済・雇用でもなく、科学・環境の筆者に過ぎない私がなぜあえてこの問題を取り上げるのか。それは、大学院修了時の学位審査における公聴会・口頭試問との類似性が頭をよぎったからである。

 毎年1月は、大学院学生の修士論文と博士論文の審査で、教員は大忙しとなる。私の所属する物理学専攻の場合、自分が研究室で指導する学生以外に、毎年平均して2〜3名の修士論文と、3〜5名の博士論文の審査員に割り当てられる。修士論文の場合は約1時間、博士論文の場合は約2時間の公開審査会において、提出者の発表および質疑応答がなされる。提出論文の内容と審査会での議論を総合して合否が判定される。

 修士論文が不合格となる例は極めて限られているものの、博士論文は(審査会までに取り下げられるものも含めると)大体1、2割が継続審査となる(理由は知らないが、博士論文の場合には不合格という判定は存在せず、半年から1年かけて修正した上で再審査を受けることになっている。これも教育的配慮によるものだろう)。博士論文の場合には、その内容が博士号の学位にふさわしいものであるかを客観的に判断するために、5名の審査員の中に指導教員は入らない。委員会での議論における忖度を排するためである(昨今の言葉で言えば利害関係者のコンプライアンスといったところだ)。

緊急事態宣言を出した後、記者会見する菅義偉首相。右は政府分科会の尾身茂会長=2021年1月7日、首相官邸

 とはいえ、審査員すべてがその分野の専門家であるわけではなく、本質的な問題点の指摘だけではなく、単なる誤解や理解不足に基づく質問やコメントも少なくない(むしろ外国では、意図的に異なる分野の審査員を入れるのが必須とされていることもある)。しかし、それらに対して、科学的・論理的に説得力のある受け答えができなければ、合格とはならない(博士論文のほとんどが、審査会終了後数週間以内に、その議論を踏まえた修正を行い再提出が求められるのはそのためだ)。

形式的で生ぬるい質疑応答

 さて、今回の菅首相の「報道ステーション」出演は何を目的として企画されたのか。本来は、1月7日の首相記者会見こそ、論文審査会の公聴会に対応するべきものだったはずだ。しかし、いみじくも「いま一度、御協力賜りますことをお願いして、私からの挨拶とさせていただきます」という結語の言い間違い(?)が象徴するように、下を向いた原稿棒読みの姿勢からは、あくまで他人事に過ぎず、首相としての自らの責任を国民に示す決意は何一つ感じられなかった。

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