新型コロナワクチンに欠かせなかった「構造生物学」という基礎研究
形を変える突起たんぱく質を押さえ込む手法が必要だった
鳥居啓子 テキサス大学オースティン校冠教授 名古屋大学客員教授
ワクチンは長年の基礎科学の努力と叡智の結晶
すでに世界で1億人以上の人々が感染した新型コロナウイルス(SARS-CoV2)。このパンデミックを収束させるためにワクチンが記録的な速度で開発されている。新型コロナウイルスワクチンは、長年にわたる様々な基礎科学とワクチン開発の専門家たちの努力と叡智の結晶である。例えば、ファイザー・ビオンテックとモデルナ社のmRNAワクチンの成功の舞台裏には、開発者ケイト・カリコ博士らによる数十年もの地道な基礎研究がある。カリコ博士が乏しい研究費や不遇な待遇を乗り越えて、いかにしてmRNAの活用法を見出したのか、是非とも、船引宏則博士による論座記事を読んでほしい。

ジェイソン・マクレラン博士=本人提供
もう一つ、新型コロナワクチンを支えている重要な基礎研究が「構造生物学」である。これは、たんぱく質の分子の形を観測し、その構造を理解し設計する分野で、ジェイソン・マクレラン博士(写真)という米国人学者が見出した知見が今回のワクチンの高い有効性に大きく寄与している。ちなみに、マクレラン博士は、筆者の所属するテキサス大学オースティン校分子生物科学科の同僚である。
その知見とはどのようなものか、いかにして発見されたのか。それをこれから解説したい。興味深いことに、マクレラン博士もまたカリコ博士と同様に論文の価値を認めてもらえず、研究費獲得に苦労するという逆境を乗り越えてきた。
4種類のワクチンに使われているマクレラン博士の発見
まずは新型コロナワクチンの現状を概観しよう。一番手で登場した、米ファイザー社と独ビオンテック社が共同開発したワクチンと、2つ目、米モデルナ社のワクチンは、フェーズ3の大規模臨床試験において、それぞれ、95%と94%という高い発症予防効果を示した。この原稿を書いている2021年2月1日現在までに、米国では新型コロナウイルスに感染した約2600万人のうち44万人もが死亡している。一方、約2500万人の人々が新型コロナワクチンを接種し、明確な死亡例は出ていない(米国疾病予防管理センター=CDCのリポート)。
米国で強い副反応が報告されたケースは、ファイザー・ビオンテックが100万人あたり5人、モデルナは100万人あたり2.8人。2つの新型コロナワクチンは、人類が最初に体験するmRNAワクチンであるが、(これらの数字を見る限り)非常に安全なワクチンであると言って差し支えない。少なくとも米国のように新型コロナ感染が大規模拡大してしまった国においては、もはやワクチンによる集団免疫獲得以外にパンデミックを終息させる手だてはない。この詳細については、鈴木貞夫博士の論座記事を参照いただきたい。
マクレラン博士らの発見は、ファイザー・ビオンテックとモデルナによるmRNAワクチンだけではなく、米ジョンソン・エンド・ジョンソンのウイルスベクターワクチン、および米ノババックスの組み換えたんぱくワクチンという4種類の異なる新型コロナワクチンに使われている。その一方で、マクレラン博士の発見を使わずに、別の方法で回避しようとしたオーストラリアのCSL社とクイーンズランド大学は、ワクチン開発に失敗。オーストラリア政府は不足分となる5100万回分のワクチンを英米から補填するという事態となった。なぜそんな事態になったのかを理解するには、マクレラン博士の発見について知る必要がある。