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主役はクスノキ 造営から100年を超えた明治神宮の森

豊かな階層構造を誇る明るい常緑広葉樹林は「永遠の杜」として続くのだろうか?

米山正寛 朝日新聞記者(科学医療部)

 東京都心を代表する森として、明治神宮の森を思い浮かべる人は多いだろう。大都会に浮かぶ緑の島は、自然が作り出したものではなく植栽された人工の森だ。昨年は1920年にできた明治神宮の創建100年の年だった。つまり、その周囲に広がる森も造営から100年を超えたことになる。

150年を見通した林苑計画

拡大南参道の入り口。周囲の木々はすべて植えられたものだという=shutterstock/Yellow
拡大昨年、参道には「百年前、ここは荒地でした」という写真が展示されていた=筆者撮影

 明治神宮の森の面積は約70ha。常緑広葉樹を主体とした「永遠の杜(もり)」として、全国からの献木を活用しつつ、1915年からつくられた。この森の青写真を科学的な視野を持って描いたのは、造営当時に東京帝国大学の林学科教授だった本多静六、その講師を務めた本郷高徳、学生だった上原敬二の3氏である。関東地方では森の優占樹になると考えられた常緑広葉樹のカシ類、シイ類、それにクスノキを構成木の主体としつつ、一方で針葉樹の樹形や落葉広葉樹の四季折々の葉色によって変化を与えることを意図し、それらを適宜配置した森を形成することにした。

拡大本郷高徳が「明治神宮御境内林苑計画」に描いた森の予想図。上から造営当初、50年後、100年後、150年後を示す=明治神宮提供
 とはいえ、そうした理想の森づくりが一朝一夕にできないことを、彼らは認識していた。このため荒地や疎林だった森の予定地で、当初から常緑広葉樹を積極的に植栽したわけではなく、自然の遷移による変化を見通した林苑計画がつくられた。

 つまり、第1段階として最初につくる森は、予定地に生えていたマツ類をそのまま活用し、ヒノキ、サワラ、スギ、モミなどの針葉樹を植え、その下にカシ、シイ、クスなどの常緑広葉樹を、さらにイチョウやケヤキ、カエデ類なども植えたのだ。これにより最上部のマツは相当に成長するが、50年も経った第2段階になると、他の針葉樹も成長してマツは林内に点在する形となり、その下の常緑広葉樹も育ってくる。そして100年後の第3段階には常緑広葉樹が大きく育ち、針葉樹はチラホラと混成する程度になる。やがて林内は常緑広葉樹が主体で、その下に常緑広葉樹の稚樹が育ち、針葉樹や落葉広葉樹は景観に変化を与える存在となる。4段階の遷移予想図は、こんな自然の遷移に即した形で成熟した林が成立するには、150年の歳月を要するという見込みで描かれていた。

 「造営から100年が過ぎた現在、遷移は早めに推移し、すでに最終段階に差し掛かっている」というのが、この森を構成する樹木について、学術的な目で研究・観察を続けてきた東京農業大学客員教授の濱野周泰さんの受け止め方だ。森では落ちた枝葉を持ち出さず、林内へ戻す管理が続けられており、肥沃な土壌によって樹木の成長が予想以上に促されたとみられる。また1970年代に猛威をふるったマツノザイセンチュウによる「マツ枯れ」のため、想定以上にマツ類が衰退して、常緑広葉樹主体となるのが早まったのも一因のようだ。

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筆者

米山正寛

米山正寛(よねやま・まさひろ) 朝日新聞記者(科学医療部)

朝日新聞科学医療部記者。「科学朝日」や「サイアス」の編集部員、公益財団法人森林文化協会事務局長補佐兼「グリーン・パワー」編集長などを務め、2018年4月から再び朝日新聞の科学記者に。ナチュラリストを夢見ながら、とくに自然史科学と農林水産技術に関心を寄せて取材活動を続けている。

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