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主役はクスノキ 造営から100年を超えた明治神宮の森

豊かな階層構造を誇る明るい常緑広葉樹林は「永遠の杜」として続くのだろうか?

米山正寛 ナチュラリスト

土地の能力を読み取った植栽

 造営当初の話に立ち戻ると、林苑計画の実践に当たっては、もともとあった樹木の活用とともに、全国からの献木で寄せられた樹種の植栽が重要だった。献木は約10万本にのぼり、当時は台湾、朝鮮、サハリン(樺太)などが日本の領土とされていたため、そうした地域から送られてきたものもあった。

拡大明治神宮の南参道。常緑広葉樹林の中にあるが、思いのほか明るい印象を受ける=shutterstock/Francesco Bonino
拡大明治神宮の北参道。南参道沿いよりカシ類やシイ類の割合が高いとされる=筆者撮影

 これら献木の多くは、隣接する山手線からの引き込み線を通って来る貨車で運ばれてきた。今なら当然ながら植栽の設計図をもとに植えていくはずだが、当時はいつどんな木が運ばれてくるかはっきりしなかった事情もあり、「到着した樹種を見て、どこへ植えるかを決めていった。土地の潜在能力をしっかり読み取って、どんどん植えていったのだからたいしたものだ」と濱野さんは言う。その判断は、現場の責任者を務めた上原敬二が主に担った。

 献木には、やはりマツ類やヒノキ、スギなどの針葉樹、そしてカシ、シイ、クスなどの常緑広葉樹といった大きく育つ樹種が多かった。ただ、ここにスギの名があることを不思議に感じる読者もいるだろう。明治神宮の森をめぐっては、伊勢神宮や日光杉並木を例に「神聖かつ森厳な雰囲気のスギが適している」と主張した内務大臣の大隈重信に対し、本多静六らがここは湿潤な場所を好むスギの生育適地でないことを科学的に説明して、時の実力者であった大隈の主張を退けた話がよく知られるからだ。

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筆者

米山正寛

米山正寛(よねやま・まさひろ) ナチュラリスト

自然史科学や農林水産技術などへ関心を寄せるナチュラリスト(修行中)。朝日新聞社で科学記者として取材と執筆に当たったほか、「科学朝日」や「サイアス」の編集部員、公益財団法人森林文化協会「グリーン・パワー」編集長などを務めて2022年春に退社。東北地方に生活の拠点を構えながら、自然との語らいを続けていく。自然豊かな各地へいざなってくれる鉄道のファンでもある。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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