辺野古サンゴ訴訟、常軌を逸した高裁判決
2021年02月18日
辺野古サンゴ訴訟の高裁判決が去る2月3日に福岡高裁那覇支部であった。名護市辺野古の新基地建設に向けたサンゴ類の移植をめぐり、沖縄防衛局の申請を許可するよう農林水産相が指示したのは違法だとして、県が指示の取り消しを求めていた訴訟の判決である。福岡高裁は県の訴えを棄却したが、それ自体は県や弁護団の想定内であった。昨秋11月20日に開かれた第1回口頭弁論が即日結審となり、裁判長の訴訟指揮から県の敗訴が確実視されていたからである。
しかし高裁判決は、沖縄の想像を超えて常軌を逸したものであった。翌2月4日の沖縄の地元紙には「地方自治の理念揺るがす」「県の権限奪う判決」「肥大化続く国の裁量」「地方自治一顧だにせず」などの見出しが躍ったことが端的にそのことを物語っている。
この高裁判決は、県漁業調整規則に基づく沖縄防衛局のサンゴの特別採捕許可申請に対し、知事の諾否の応答が農水相の指示の時点で145日経過しており、これは行政手続法6条に基づく標準処理期間の45日を超えており、県の不作為は違法であるというものである。
判決の異常性がとりわけ際立ったのは、大浦湾の軟弱地盤対策のために沖縄防衛局が県知事に対して現在行っている設計概要の変更申請が承認されず、辺野古の埋め立て工事が中断しサンゴの移植が無駄になる可能性があったとしても、法律上の根拠がなければ県はサンゴ移植の諾否を判断しなければならないと言い切ったことである。サンゴ移植の成功率は決して高くない。移植後に工事が中断することになれば、しなくても済んだ移植のために取り返しのつかない自然破壊がなされることとなる。変更申請について「承認」という決着がついてからサンゴ移植の諾否を判断すれば良いというのは、誰が考えても常識的な判断のはずだ。
日本が法治国家であるというのは幻想にすぎないという事実が、今や誰の目にも明らかになりつつある。国民一人一人に問われているのは、それを座視するのか否か、ということである。
昨年9月16日に菅内閣が発足してから5カ月が経過したが、同内閣が発足直後に引き起こしたのが日本学術会議の6名の会員任命拒否問題であった。「総合的・俯瞰的が云々」「多様性が云々」と、その場しのぎの屁理屈をこねていたが、日本学術会議法違反であることは明らかだ。憲法15条の「国民の公務員選定罷免権」などを持ち出すなどして任命拒否を正当化しようとしたが、15条には憲法73条(内閣の職務)の「(内閣は)法律に定める基準に従い、官吏に関する事務を掌理すること」という縛りがあることに頬かむりをしている。
憲法73条に言う「法律」とは、この場合は「日本学術会議法」であり、同法7条2項は「会員は、17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」としている。そして17条は「日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする」と定めている。現行の「日本学術会議法」を審議承認した1983年の国会では、中曽根康弘首相(当時)らは「政府が行うのは形式的任命に過ぎない」と答弁している。国会における審議承認抜きにこの法解釈を勝手に変更するのは、政府による「法の支配」の無視以外の何物でもない。
辺野古新基地建設に関して国と県は九つの訴訟を争ってきた。訴訟が終了したのは7件で、うち3件は県の敗訴が確定、3件は和解、1件は取り下げており、県が勝訴したものはない。学校教育を通じて、日本は三権分立の国であると教えられてきたが、司法は独立しているのかという疑問を沖縄の人たちは強く持つようになっている。
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