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原子力災害後も有機農家は土地と向き合い消費者とつながる

福島県内で農業を継続してきたこの10年間を記録に残したい

金子信博 福島大学教授

 東日本大震災で引き起こされた放射性物質による広域の環境汚染は、事故を起こした福島第一原子力発電所に近い福島県の農家に特に大きな影響を与えた。中でも、有機農産物を生産し、販売していた有機農家は、深刻な打撃を受けた。

拡大有機農業の田んぼにつくられた苗代=福島県二本松市、写真はいずれも筆者撮影

ひとくくりにされる広い福島県

 2020年12月5、6日に第21回日本有機農業学会大会をオンラインで開催した。大会の地域セッションとして「原子力災害と有機農業」を開催し、現在も福島県内で生産を行っている6軒の農家にインタビューを行った。

 福島で起きた原子力災害は未曾有の規模であり、災害が起きた当初は、被災地では長い時間にわたって人の暮らしや農林水産業が成り立たないかも知れないと思われた。しかし、実際にはここで取り上げる農家は震災以前よりもさらに自信を持って自らの農産物を生産し、販売している。どうして、彼らは生産を続けることができ、そして将来に希望をもつようになったのだろうか。

 最初に、6軒の農家の位置関係を見ておこう。福島県は北海道、岩手県に次いで、都道府県のなかで3番目に広い面積を持ち、三つの地域に大きく分かれている。すなわち、太平洋側に面し、福島第一、第二原発が立地する「浜通り」、県庁所在地の福島市、中核都市の郡山市、精密工業が発達する白河市などが南北に走る低地に並ぶ「中通り」、そして奥羽山脈の西に位置する「会津」である。農家の位置と汚染状況を見ると、原発からの直線距離と汚染状況はまったく関係がないことがわかる。原発に近い浜通りが一様に汚染されたわけでもないし、会津は福島県とはいえ県外の他の地域に比べ遙かに汚染は少ない。それでも農産物は「福島県産」としてひとくくりにされがちである。そうしたときに、消費者の頭にはこのような地図は浮かばないだろう。

拡大

震災前から有機農業を推進

 福島県は、首都圏に近く、比較的冷涼な気候は、有機農産物の生産にとって条件がよい。そこで、福島県は2004年から組織的に有機農業の推進に取り組み始めた。県農業試験場(現在は総合農業センター)で有機農業技術の開発に着手し、浜通りの双葉農業普及所に有機農産物推進担当を3名配置した。2006年には農業試験場に有機農業推進室が設置され、日本農林規格等に関する法律(JAS法)に基づく有機農産物認定業務を県として開始した。2009年には「有機栽培の手引き」が、2010年には「福島県有機農業推進計画」が策定されている。このように全国的に見ると震災直前まで有機農業への先進的な取り組みがなされ、水稲と野菜、果樹を合わせた県内の有機JASの栽培面積は2004年の137haから2010年には倍増して282haに達した。

 残念なことに、震災は拡大を続けてきた福島県の有機農業に大きな打撃を与えた。しかし、栽培面積の推移を見ると震災によって面積が一気に減少したわけではなく、緩やかに減少していき、2019年に栽培面積は157haまで減少した。県をあげての有機農業推進施策によって6年かけて栽培面積が倍増したが、震災後8年かけて施策開始時の面積にほぼ戻ったといえる。

 震災後、県は

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筆者

金子信博

金子信博(かねこ・のぶひろ) 福島大学教授

福島大学食・農学類教授(森林科学・土壌生態学)。京都大学大学院農学研究科中退、農学博士。島根大学生物資源科学部助教授、横浜国立大学大学院環境情報研究院教授を経て、2018年から現職。土壌生物の多様性と生態系機能の関係を研究。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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