5つの教訓を踏まえて、廃止措置や復興対策の改革案を示す
2021年03月11日
あの東京電力福島第一原発事故から間もなく10年となろうとする2月13日、M7.3の地震が福島沖で発生した。東京電力は即座に「原発に異常はない」と発表したが、その数日後、1号基と3号基の格納容器の水位が下がっていること、また汚染水を処理しているALPSと処理水の貯蔵タンクが最大19センチずれていることを発表した。このニュースは、福島第一原発がいまだに深刻なリスクを抱えていることを思い起こさせた。
そうなのだ。事故はまだ終わっていない。避難されていまだに故郷に戻れない方々が4万人以上もいることも含め、福島原発事故は10年たっても継続していることを忘れてはいけない。
改めて、福島事故の教訓とは何だったのだろうか。筆者は次の5点をあげる。
今後30年以上続くとされる海洋放出作業で、そのようなことが1回も起きないとは保証できない。そして万が一にでも起きてしまえば、福島の漁業は壊滅的な影響を受ける可能性がある。一方、地上に長期間貯蔵しておく場合も、再度の大地震に見舞われるなど最悪の事態を考えておかなければいけない。いずれにせよ、リスクはゼロにはならない。そのような現実を踏まえて、選択するときには正常な運転状況を前提にした評価だけではなく、最悪の事態を想定した評価も考慮する必要があろう。
第二に「工学的リスク評価では不十分」ということである。工学的リスク評価は、結果(多くの場合は死者数)に確率を掛けてあらわすことが多い。事実、今回の福島原発事故でも、放射線による死者は現時点ではゼロであり、リスク工学の観点からは原発の安全性を証明した、との見方をする専門家も少なくない。
しかし、原発事故のリスクは、そのような工学的リスク評価、死者数だけで評価できないことこそが福島原発事故の教訓である。突然、何の前触れもなく、不条理にもふるさとから離され、仕事を捨てなければいけなかった人たちの思い、放射線リスクへの不安、長く続く損害賠償の闘いなど、社会・経済・法的、そして倫理的影響まで評価する必要がある。
第三に、国会事故調が指摘した「規制の虜」(原発を規制する側の行政機関が規制される側の電力会社に支配される状況)に象徴される、独立したチェック機能の重要性である。この点を踏まえて、「独立した」原子力規制委員会が成立したこと、そして規制基準が新たに設定されたことは、評価できる。しかし、国会事故調の提言はそこにとどまらず、行政に対する国会の監視機能を継続的に強化すべく、原子力に関する常設の委員会設置を提言した。ところが、これは実現していない(衆議院に原子力問題調査特別委員会が設置されたが、常設ではない)。
この国会の監視機能強化は多方面に必要と思われるが、特に原子力政策には与野党の立場(脱原発か否か)を超えた重要な課題が多く存在していることを考えれば、超党派で常設の委員会を設置し、原子力行政への監視機能を強化していくことが望まれる。
第五に、「透明性」と「信頼」の重要性だ。すべての政策決定や情報発信において「透明性」が重要なのは言うまでもない。「透明性」というのは、会議をすべて公開すれば済むものではない。意思決定過程全般にわたって記録の保存、重要情報へのアクセスの保証、わかりやすい情報発信、説得ではなく対話を中心としたリスクコミュニケーションなど、多岐にわたる努力が必要だ。そういった努力を重ねて初めて「信頼」が構築される。難しいのは、透明性に一部でも疑義があると、信頼が一挙に崩れる可能性があることだ。しかも、信頼というのは崩れるのは早いが、再構築にはとても時間がかかる。この問題も、脱原発か否かに拘わらず、政策遂行には不可欠の重要な課題であり、事故の最大の教訓でもある。
以上の5つの教訓を踏まえて、福島第一原発の廃止措置や、復興対策についての改革案を提示したい。基本的な考え方は、2017年3月の本欄「廃炉措置機関の創設で国が責任を持つ体制に変えよ」に示した3つの改革と変わらないものである。
第一に、東京電力に廃止措置の責任を負わせるのではなく、国が責任をもって専門の「廃止措置機関」を設置することである。世界の叡智を集めるにも、新たな人材や財源を確保するにも、東京電力1社に任せるには負担が大きすぎる。事故を起こした責任という意味では、東電には資金の負担に加えて現場での作業に従事してもらうことで十分であろう。
また、独立した基金にすることにより、資金使途の透明性も確保できる。米国のスリーマイル島(TMI)原発事故の際には、日本の電力会社も費用を一部負担しているし、チェルノブイリ事故に際しては、G7をはじめ西側諸国が支援を行い、欧州復興開発銀行が資金の管理・事業の推進を担った。このような経験を踏まえて、福島事故対応のための特別の資金調達・管理組織を立ち上げることも検討に値する。
第三に、「廃止措置・復興対策の第三者評価機関」の設置である。全体のプロセスの透明性を高め、かつ最善の対策をとっているかどうかの評価を、客観的に独立した立場から評価する機関が求められる。このような組織が存在すれば、汚染水処理問題や、避難解除の意思決定においても、透明性が向上し、信頼感も醸成されると思われる。こういった組織は「独立性」が重要であり、その点で政府内ではなく、独立した機関として設置するのが望ましい。
さて、事故を踏まえたエネルギー・原子力政策はどうだろうか。2014年と2018年のエネルギー基本計画では、ともに前文において「原子力依存度をできる限り低減する」ことが明記されている。一方で、ともに「原子力発電はベースロード電源」として維持することも述べており、曖昧な位置づけのままになっていた。しかし、2020年12月に発表された「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」では、原子力産業を「成長産業」の一つとして位置づけ、推進の立場をより明確に打ち出した。これでは、「依存度をできる限り低減させる」政策に逆行しているといわざるを得ない。
確かに、温暖化対策として原子力が重要な役割を果たす可能性はあるだろう。しかし、事故の反省を踏まえれば、従来の拡大政策の改革を検討することが第一に必要である。例えば、石油危機後に原子力発電の立地促進のために導入された「原子力発電立地交付金制度」は見直すべきである。
一方、今後の原発の位置づけをどう規定するにせよ、いま現在解決すべき課題が多く存在することを忘れてはいけない。
第一に、放射性廃棄物・使用済み燃料対策である。この問題は、使用済み燃料からウランとプルトニウムを回収(再処理)して再利用する「核燃料サイクル」政策にも深く関係している。核燃料サイクル政策を堅持しているために、使用済み燃料はすべて再処理を前提として貯蔵するという柔軟性に欠ける状況を生み出している。すでに再処理に適さない使用済み燃料や、あるいは再処理技術のめどが立っていない使用済みMOX燃料などの存在を考えれば、使用済み燃料を廃棄物として処分する選択肢(直接処分)を導入すべきだ。
また、再処理政策は後述するプルトニウム問題にも直結する。いずれにせよ、プール貯蔵よりも安全で経済的な「乾式貯蔵」への移行を進めていくことが何よりも重要である。その間に、最終処分問題に関する合意形成プロセスを構築しなければならない。その際、この問題は、脱原発か否かに拘わらず取り組むべき課題であることを前提に計画や体制を見直すべきだ。
第二に、プルトニウム問題である。2019年末に45.5トンものプルトニウムを保有している日本は、国際安全保障上もその保有量を削減することが求められている。2018年に原子力委員会は「プルトニウム保有量の削減」政策を発表したが、再処理政策の変更までには至っていない。この問題は国際的な課題でもあるので、国際協力のあり方や再処理政策の見直しも含めて、プルトニウム削減の具体策を検討することが求められる。
第三に、人材の確保と研究開発の見直しである。原子力依存度を低減していくにしても、廃止措置や廃棄物問題など、原子力関連の人材確保は必要である。そのためには、人材確保を大きな目的とした政策、特に研究開発政策が求められる。これまでの「高速増殖炉・核燃料サイクルの実用化」を主要な目的とした研究開発から、人材の確保を目的とした基礎・基盤技術重視の研究開発にシフトしていく必要がある。また、研究開発の評価システムも、客観的で独立した第三者機関による評価システムを構築し、その際社会的影響(倫理・法・社会的側面)を評価できる体制を構築すべきだ。
以上、福島事故10年を迎えて、改めて原子力政策の課題についてまとめてきた。何よりも求められるのは、過去の政策と事故がもたらした「負の遺産」を直視した政策である。次世代に負の遺産をできるだけ残さないためには、事故の教訓を真摯に受け止め、負の遺産に正面から向き合う勇気が要る。それこそが、事故を起こした現世代の責任であろう。
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