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これはパンデミックではない——「シンデミック」とは何か?

疾患を悪化・拡大する「構造的暴力」

粥川準二 叡啓大学准教授(社会学)

 「これはパンデミックではない」などと書くと、まるでパイプの絵を見せながらその下に「これはパイプではない」と書かれている、ルネ・マグリットの絵画『イメージの裏切り』みたいだ。いま起きている新型コロナウイルス感染症(COVID-19、新型コロナ)は間違いなくパンデミック、つまり世界的流行を起こしている。

 昨年9月、有名な医学雑誌『ランセット』で、「COVID-19はパンデミックではない」という論評記事を読んだとき、このマグリットの作品を思い出した。著者は同誌の編集長で、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院名誉教授のリチャード・ホートンである。ホートンは、新型コロナはパンデミックではなく、「シンデミック(syndemic)」である、という。

 シンデミックとは何か? シンデミックは「シナジー(synergy、相乗効果)」と「エピデミック(epidemic、疫病の流行)」を合わせた言葉で、医療人類学者メリル・シンガーが1990年代に考案した言葉である。シンガーを踏まえて筆者なりに定義すると、人々が2つ以上の病気を同時に発症し、それらが相互作用することで病状が悪化し、さらに「社会的・環境的要因」によってそれが助長され、そして拡大(≒流行)することである。

 ホートンは、新型コロナと一連の「非感染性疾患(NCD)」が「特定の集団内」で相互作用しており、そうした状況が私たちの社会に深く埋め込まれている「不平等のパターン」に沿って拡大している、と指摘する。つまり新型コロナのパンデミックの影響は「社会経済的な不平等」によって悪化している、と。「私たちが直面しているこの脅威のシンデミックな性質は、コミュニティの健康を保護するためには、より微妙なアプローチが必要であることを意味する」とホートンは主張する。

「生物社会複合体」による「構造的暴力」

 シンガーやホートンの見解を踏まえれば、新型コロナのパンデミックを理解し、それを収束させるためには「シンデミック」という概念を前提としたアプローチ(シンデミック・アプローチ)が不可欠である。

拡大2つの疾患が環境・社会条件によって相互作用し、感染や症状の悪化が進行する(『ランセット』2017年3月4日号より)

 シンガーによれば、シンデミック・アプローチは、2つ以上の疾患と、それらの相互作用による悪影響を促進する社会的・環境的要因からなる「生物社会複合体」に着目する(図参照)。これまでそれぞれの疾患は、他の疾患とは別のものであり、また社会的背景とも別のものと考えられてきた。しかしこのアプローチは「社会環境、とくに社会的不平等や不公正な状況が、疾患のクラスター化(集団化、拡大)や相互作用、さらには脆弱性の原因となっていること」を明らかにする、とシンガーらは2017年の段階で『ランセット』に書いている。彼らの説明は簡潔だ(強調は粥川による)。

シンデミックは、あらゆる種類の疾患や健康状態(感染症慢性非感染性疾患、メンタルヘルス問題、行動障害、毒物への曝露、栄養失調など)の間での有害な相互作用を内包している。そしてシンデミックは、貧困スティグマ化、ストレス、つまり構造的暴力によって引き起こされる健康の不平等という条件下で出現する可能性が最も高い。

 「慢性非感染性疾患」とは、ようするに高血圧や糖尿病など、いわゆる生活習慣病であり、新型コロナのパンデミックが起きてからは、その症状を悪化させる「基礎疾患」として広く知られているものである。「スティグマ」とは、筆者が昨年7月今年3月初めに論じたように「多数者から押し付けられる否定的な評価」のことである。「差別」と言い換えてもかまわない。

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筆者

粥川準二

粥川準二(かゆかわ・じゅんじ) 叡啓大学准教授(社会学)

1969年生まれ、愛知県出身。フリーランスのサイエンスライターや大学非常勤講師を経て、2019年4月より県立広島大学准教授、2021年4月より現職。著書『バイオ化する社会』『ゲノム編集と細胞政治の誕生』(ともに青土社)など。共訳書『逆襲するテクノロジー』(エドワード・テナー著、山口剛ほか訳、早川書房)など。監修書『曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民』(アドリアナ・ペトリーナ著、森本麻衣子ほか訳、人文書院)。

 

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