「廃止を」という声がなぜすぐ上がるのか、行動分析学からわかること
2021年04月19日
新年度早々、2020年度に本来更新するべき教員免許状の手続きを怠ったために免許が失効し、再取得した教員が少なくとも24人いると報道された(「教員免許、うっかり失効相次ぐ 50代教諭が新卒扱いに」朝日新聞デジタル - Yahoo!ニュース)。文部科学省は教員免許更新制の見直しを検討しているとのことであった。廃止という声もあるとの報道もあった(「萩生田文科相、教員免許更新制の見直しを諮問 廃止求める声も」毎日新聞)。文科省はその第一歩としての実態調査にも乗り出した(「小中学校の教員不足、文科省が実態調査 全自治体を対象」朝日新聞デジタル)。
一度取得すれば一生有効だった教員免許が更新制となったのは2009年である。これを抜本的に見直すことには賛成だ。しかし、そのためには、いくか整理しておきたいことがある。まず、失効者がいるので制度自体を見直すという論理の妥当性を論じ、こうした声が上がる理由は何かについて行動分析学の視点から考察する。それらを踏まえて免許更新制度を見直すためのフレームを提言しよう。
全国で教壇に立っている初等・中等教育(幼稚園から高校まで)の教員数は、約100万人である(ちなみに大学の教員は教員免許がいらない)。そのうち、24人が免許を失効した。この比率は、0.000024である。失効した人の救済策を考えるという案を飛び越して、「このような制度のために免許を失効する人が出ることは看過できない、制度の見直しを検討せよ」となってしまうのは、余りにも論理が飛躍してはいないか。
もしも「失効者がいるので制度廃止」という論理が妥当だというならば、手続き不備で失効する人が一人でも出る制度は皆、廃止しなければならない。例えば、運転免許証制度然り、受験制度然りである。しかし、運転免許証制度も受験制度も未だに廃止に至っていないどころか、廃止せよという声すら上がらない。
なぜだろう。もちろん、教育現場はそれでなくても人手不足という事情もある。しかし、それだけではなく、失効者→制度廃止という声がこんなに大きく沸き起こるのは、この制度に関わる関係者の「隠された願望」がそこにあるからではないだろうか。
普段無料で研修を受けられる機会があるにもかかわらず、高額な費用を払うということは、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください