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国民の黙認が沖縄に基地負担を強いている

だから合意から四半世紀を経ても普天間返還が実現しない

桜井国俊 沖縄大学名誉教授、沖縄環境ネットワーク世話人

 4月12日は米軍普天間飛行場の全面返還に日米が合意してから25年目の節目の日であった。「5ないし7年以内に返還する」と当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米国大使が発表してから、なんと四半世紀もの時が無為に経過したのである。

沖縄・普天間飛行場の返還問題について記者会見する橋本龍太郎首相(左)とモンデール駐日米大使 =1996年4月、首相官邸  
沖縄・普天間飛行場の返還問題について記者会見する橋本龍太郎首相(左)とモンデール駐日米大使 =1996年4月、首相官邸

 1995年に起きた米兵による少女乱暴事件に抗議する8万5千人(主催者発表)の超党派県民大会参加者の怒りが、日米両国政府を突き動かして翌年の返還合意となり、とっくの昔に宜野湾市民に平穏な日々が戻っていたはずだったのに。

 返還合意から25年目の4月12日当日、普天間飛行場は宜野湾市のど真ん中に相変わらず居座り続け、市民が憩う夕食時に、外来のFA18戦闘攻撃機が耐えられないまでに激しい騒音をまき散らしながら離着陸を繰り返した。この3月、4月と続く外来機の訓練による騒音は、普天間基地から7km離れた那覇に暮らす筆者にも耐えられないほどのものであり、普天間基地周辺に暮らす人たちの悲鳴は想像するにあまりある。

泥沼化する辺野古新基地、無視される民意

 日米合意はその後二転三転し、辺野古沖への移設という名の最新鋭基地建設へと大化けした。そもそも普天間基地は戦後米軍が民間地を強制接収して建設したものであり、占拠し続けてきたこと自体ハーグ陸戦法規違反である。ただちに無条件で返還されるべきものであり、返還の見返りに最新鋭基地の建設を求めることなど盗っ人たけだけしいと言わねばならない。

普天間基地に駐機するオスプレイ。手前は沖縄国際大学=2019年12月、沖縄県宜野湾市、朝日新聞社機から普天間基地に駐機するオスプレイ。手前は沖縄国際大学=2019年12月、沖縄県宜野湾市、朝日新聞社機から
 ところが辺野古新基地は、大浦湾に海面下90mにまで達する軟弱地盤が存在するために建設のメドが全く立っていない。沖縄防衛局は、公有水面埋立法に基づき沖縄県知事に設計概要の変更申請を行っているが、知事は許可しないはずだ。

 それは、知事の新基地建設反対の政治姿勢のためだけでなく、海面下90mにまで達する軟弱地盤の改良工事自体が技術的に不可能だからである。にもかかわらず沖縄防衛局は、血税をまさにドブに捨てる形で辺野古側の埋め立てを続けている。

 沖縄防衛局は、2019年12月25日に開催された専門家による「技術検討会」の場で、辺野古新基地建設工事の費用を当初見積もりの約3500億円から約9300億円へ、そして工期を当初想定の5年から約2倍の約9年3カ月へと大幅修正した。しかし、沖縄県の試算では、費用は2兆5500億円という天文学的な数字になり、また工期は、政府が想定する最短のケースでも30年代以降に大幅にずれこむことになる。

 この間沖縄は、国(沖縄防衛局)のこうした暴挙・愚挙に一貫して反対の姿勢を示してきた。2014年、2018年の知事選、この間の国政選挙、そして新基地建設の是非をワンイシューで問うた2019年の県民投票において、沖縄県民は「新基地建設No」の民意を明確に示した。これ以上はない形で示された沖縄の民意を無視することは、憲法第8章の地方自治の理念を踏みにじる行為だ。

後を絶たない墜落事故

 5ないし7年のうちに返還されるはずだったものが、その後25年も居座りつづけている間に様々な事件・事故が発生した。

 イラク戦争真っ最中の2004年8月13日、疲労困憊(こんぱい)した整備兵の整備ミスが原因で発生したのが、米海兵隊ヘリCHD53Dの普天間基地隣の沖縄国際大学への墜落炎上である。

米軍ヘリ墜落事故で黒く焼け焦げた沖縄国際大学の校舎の壁面=2004年8月、沖縄県宜野湾市
米軍ヘリ墜落事故で黒く焼け焦げた沖縄国際大学の校舎の壁面=2004年8月、沖縄県宜野湾市

 日本側の警察、消防も、そして渡久地朝明学長以下の大学関係者もキャンパスから1週間閉め出され、墜落した機体や放射性物質で汚染された土壌は米軍に持ち去られ、パイロット名は明らかにされないという異常事態であった。

 筆者はこの当時沖縄大学の学長だったので、

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