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国民の黙認が沖縄に基地負担を強いている

だから合意から四半世紀を経ても普天間返還が実現しない

桜井国俊 沖縄大学名誉教授、沖縄環境ネットワーク世話人

後を絶たない墜落事故

 5ないし7年のうちに返還されるはずだったものが、その後25年も居座りつづけている間に様々な事件・事故が発生した。

 イラク戦争真っ最中の2004年8月13日、疲労困憊(こんぱい)した整備兵の整備ミスが原因で発生したのが、米海兵隊ヘリCHD53Dの普天間基地隣の沖縄国際大学への墜落炎上である。

米軍ヘリ墜落事故で黒く焼け焦げた沖縄国際大学の校舎の壁面=2004年8月、沖縄県宜野湾市
拡大米軍ヘリ墜落事故で黒く焼け焦げた沖縄国際大学の校舎の壁面=2004年8月、沖縄県宜野湾市

 日本側の警察、消防も、そして渡久地朝明学長以下の大学関係者もキャンパスから1週間閉め出され、墜落した機体や放射性物質で汚染された土壌は米軍に持ち去られ、パイロット名は明らかにされないという異常事態であった。

 筆者はこの当時沖縄大学の学長だったので、

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筆者

桜井国俊

桜井国俊(さくらい・くにとし) 沖縄大学名誉教授、沖縄環境ネットワーク世話人

1943年生まれ。東京大学卒。工学博士。WHO、JICAなどでながらく途上国の環境問題に取り組む。20年以上にわたって、青年海外協力隊の環境隊員の育成にかかわる。2000年から沖縄暮らし。沖縄大学元学長。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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