矛盾したメッセージに子どもたちはどこまで耐えられるのか
2021年05月18日
少し前には部活動は一切中止というニュースもあったばかりだ。「せめて最後の大会には出たい」。高校3年生のバトミントン部に所属する女子生徒の談話が紹介されている。大人にとっては、今年と去年の1年にさして差はあるまい。しかし、毎年学年があがっていく子どもたちにとっては、「その1年」はかけがえのない1年なのだ。「今年我慢して、また来年ね」が気軽には言えないということである。
子どもたちは、このコロナ禍における社会の動きを大人たちが想像する以上によく見て、言葉にはしないものの大人以上に違和感を覚えているのではないか。現状のように明らかに矛盾したメッセージが世の中に発し続けられている、この状況が長びくことによる子どもたちへの影響ということについて、大人はもっと目を向けていかなければならないと訴えたい。
しかもここ数か月は、特にテレビ報道では新型コロナウイルス感染症関連のニュースを散々報じた後に、「はい、今日のスポーツです」と何事もなかったかのように、野球や相撲の映像が映し出される。ある特定のスポーツや行事などだけがいつも通りに報じられ、アナウンサーは盛り上げるように明るく楽しそうにそれを伝えている。もちろん、オリンピック・パラリンピック関連のニュースもそうだ。
大人であっても「え? さっきまで、コロナ禍で大変って大騒ぎの報道だったのに、この明るい切り替えはなに?」と頭がこんがらがりそうである。
「これは一種の“ダブルバインド”的な状態ではないのか」
繰り返されるこの「コロナ関連ニュース→楽しいスポーツニュース」の刺激を浴びる中で、この言葉が浮かんできた。
「ダブルバインド」とは、アメリカの文化人類学者で精神医学の研究者でもあるグレゴリー・ベイトソンによる理論である。普通に訳せば「二重拘束」ということになるが、「矛盾した命令(メッセージ)を受け続け、そこから逃れられない状態」のことである。より正確にご理解いただくため、彼の大著『精神の生態学』による、ダブルバインド状況に陥るのに必要な条件とその具体例を表に示した。(pp. 294-295)
この表をもとに、今の日本の状況を考えてみよう。登場人物は、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください