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一世紀近く続く長期観測を止めるという愚策

「公的機関のスリム化」を無批判に続けたことが日本を弱体化させている

山内正敏 地球太陽系科学者、スウェーデン国立スペース物理研究所研究員

 新年度に入ってすぐ、気象庁地磁気観測所(茨城県石岡市柿岡)からショッキングなニュースが届いた。1931年から継続してきた大気電場(空中電気)と翌1932年から継続してきた地電流の観測を今年2月末に止めたというものだ。一時的な中断ではなく、完全な停止だ。いずれも日本で唯一の公的観測であり、他地点での替えはない。

柿岡で観測された地表付近の大気電場の静穏日年平均値。グラフ中の鎖線は全期間(1931ー2020年)の平均値を示す。
地磁気観測所のHP

 地球科学では100年単位の現象がごろごろあり(たとえば大気汚染や地球温暖化、太陽活動の大周期など)、大気電場も上図に示すように10年以上の単位の変化が見られる。しかも柿岡は「中緯度帯でアジア=オセアニア地域」という、類似の地理条件で長期観測をしている所がほとんどないユニークな地点だ。

 にもかかわらず、既に90年も続いた測定を止めたのである。これが「覆水盆に戻らず」の愚挙であることは素人にも想像できよう。長期観測の信頼性は日本の「売り」の一つだった。日本の誇りがまたひとつ失われかけている。今年中に再開させれば、まだデータ欠損レベルの損失ですむ。直ぐに再開するよう、気象庁本部、国土交通省、財務省にお願いしたい。コロナ対策費に比べたら微々たる金なのだ。

高い国際的評価を得てきた日本の地球観測

気象庁地磁気観測所の拠点
気象庁地磁気観測所のHP
 地球の多様な場所で観測データを取ろうとするとき、日本の立地は重要だ。それと、欧米に追いつけという意識が相まって、明治期の先人たちは気象をはじめとする各種観測をいち早く始め、観測精度の向上に不断の努力を続けた。それが実って、今や、信頼性・継続性の両方で高い国際評価を得ている。例えば世界の「地磁気活動指標」の標準点の一つが柿岡だ。

 日本で地磁気の定常観測が始まったのは、1883(明治16)年。第1回国際極年観測(1882年~1883年)がきっかけで、観測施設は東京市(当時)の赤坂に置かれたが、市内電車が開通して観測の妨げとなったために柿岡に移転、1913(大正2)年1月に地磁気観測所となった。以来、地磁気だけでなく、大気電場や地電流など、電気・磁気に関する観測や調査を担当している。

 大気電場の観測は、未だに新発見がある内容であり、つい最近も英国の研究者が、大気電場と雲底の高度の相関を発見している。私は現在提案中の金星浮遊観測基地での観測項目の一つにも入れている。

観測データから生まれる新発見と、いまだ解けない謎

 柿岡のデータから新発見も生まれた。私は福島由来の放射能の上空通過や再浮揚がモニターできることなど、放射線関係の発見論文を3本発表した(論座拙稿「古い学問を軽視するから雷対策が進まない」)。上空放射能の動きは未だに大気電場以外のモニター方法がないし、放射能再浮揚に関しては、チェルノブイリ事故の際の欧州各地の大気電場データも同じ情報を持っていたことが最近判明した。

 要するに、他の種類のデータと組み合わせることによる新発見や、他観測所での新知見を使った検証が可能なのだ。そればかりか、未解明の現象も抱えている。ここ30年以上続く値の低下がそれで、これは北海道(1950-2010観測)でも見られるのに、世界の他の国々では見られていない。その原因を解明する前の観測中止なのである。

北海道・女満別で観測された地表付近の大気電場の静穏日年平均値。大気核実験が盛んだったころの放射能による電場の減少(電離放射線で電気伝導度が高くなったため)が1950・1960年代に全世界で見られるほか、日本だけは1980年代後半から長期的な原因不明の減少が続いている。
地磁気観測所のHP

 大気電場と同時に観測を止めた地電流のほうは、宇宙天気予報がらみ(論座拙稿「生活に直結する宇宙天気予報」)と地震がらみで注目を浴びて、大気電場以上に近年の論文数が多い観測対象だ。

 太陽面爆発が過去に欧米大都市で引き起こした大停電は、

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