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コロナワクチン 1日100万回が実現しない理由

ノーベル賞受賞者の名にちなむ「フェルミ推定」で考えた

須藤靖 東京大学教授(宇宙物理学)

 新型コロナワクチン接種を巡って日本中が大混乱に陥っている。ここまで欧米に比べて感染者数が圧倒的に少なく抑えてきたにもかかわらず(これは大多数の日本人が感染予防のために懸命に耐え忍んできたおかげだ)、今後は日本だけが世界から取り残されてしまう可能性が現実となりつつある。

和歌山市で新型コロナウイルスワクチンの接種を受ける男性

 私の知り合いのアメリカ人(72歳)は4月上旬にすでに2回接種を終えた。プリンストン大学では学生がワクチン接種証明書を提出することを求められており、未接種であればキャンパス内で接種できるらしい。別の40代のアメリカ人も1回目のワクチン接種は終え、ご両親はともに2回目の接種を終えている。フランスでも大学研究者は優先的に接種がなされている。

 過去1年間オンラインのみであった国際会議も、今後は接種証明書を前提として対面開催の予定が増えつつある。日本人だけがオンラインで参加せざるを得ず、最前線の研究交流から離脱し、遅れを取ってしまう懸念もある。

 ワクチンの国内開発が出遅れてしまったとはいえ、現在はワクチン量ではなく、その接種体制の混乱がボトルネックとなっているのは周知の事実だ。「1日100万人の接種を行う」と繰り返すだけで、その具体的な道筋を全く説明できない(しようとしない)菅首相には、いつもながら呆れてしまう。何であれ、強引に命令すればその通りになると勘違いしているのだろう。その結果、若い有能な官僚が辞め、現場で対応する人々に膨大な仕事を課していることに気がつかないはずはないのだが。

 とはいえ、少なくとも1日100万人以上の接種体制を実現すべきなのは明らかだ。それはどこまで現実的なのか、あるいは、そのために一体何を改善すべきなのか、フェルミ推定をもとに考えてみたい。

「自衛隊大規模接種センター」の視察を終え、記者の質問に答える菅義偉首相

ピアノ調律師の数を推定してみた

 ノーベル物理学賞受賞者でもある物理学者エンリコ・フェルミは、シカゴ大学の学生に対して「シカゴにはピアノの調律師は何人いるか」と問うたとされている。実はこのような推定は、物理学研究の現場では頻繁に行われている。決して正確な答えが得られるわけではない。しかし、それに至る論理と仮定の積み重ねから、物事の本質を浮き彫りにできるからだ。

 本格的な研究を行う前にその本質を把握し、さらに先に進む価値があるかどうかを判断したり、重要な問題点が何なのかを突き止めたりするために、このような概算は極めて有用である。実際、そのような論理的思考ができる人間は、しばしば「物理のセンスがある」と評価される。フェルミはそのような推定に特に秀でた学者だったので、フェルミ推定という名前が広まったのだろうが、物理学を専攻する学生は、日常的にこの種の訓練を受けている。

 そこで試しに、日本にピアノ調律師が何人いるかをざっくりと考えてみた。日本で定期的にピアノを調律する家庭の大多数は、ピアノ教室に通う小中学生をもつ家庭であろう。学年が上がるほど割合が下がるかもしれないが、平均すればクラスの1割程度がピアノを習っていると考えるのはさほどおかしくなさそうだ。日本の子供の数は、1年に100万人程度なので、100万×9(学年)×0.1=90万が、比較的頻繁に弾かれている、したがって調律の対象となるピアノの台数となろう。それらが、平均2年に1回調律されているならば、1年間に45万台が対象だ。

 ピアノの調律師が1日あたり午前と午後の2台調律するとしよう。1週間に5日働くならば、1人あたり 1年間で2×365×5÷7=500台の調律ができる。したがって、調律師は約千人であると推定される。

調律師協会に聞いてみると 

 ちなみに、インターネットで検索したところ、一般社団法人日本ピアノ調律師協会のサイトが見つかった。そこで、失礼を顧みず会員数を尋ねるメールを出したところ、「会員数は約2200名です。以前は全国のピアノ調律師の3分の1は弊協会会員であろうといわれておりましたが、その根拠はあまりに乏しいといわざるを得ません。ひと昔前には全国にピアノ調律師1万人などと言われたこともあったと聞きますが、年々減っていると考えて間違いありません」との丁寧な回答を頂いた(さぞかし怪しいやつだと訝しく思われたことであろう)。

 というわけで、私の推定値は、現実の調律師の数分の1以下であることがわかった。この程度の推論では桁が合えばまあ良しとすべしとも言える。しかし、その結果の比較をもとに、以上の推定のどこに問題があったのかを検証できることのほうが重要だろう。言われてみれば、かなり適当な仮定をしていることは確かだ。高校生以上でピアノを定常的に弾く人数を無視している。小中学校や大学の音楽室、一般のピアノ発表会やプロのコンサートなど、より頻繁に調律を必要とする台数は無視できるのか。一方、調律師は必ずしもそれを専業としているだけでなく、副業としている方も多いのでは、などなど。実際は、推定の2~5倍程度だとしたら、その違いは仮定の甘さによるものと思われる。

ワクチン接種可能数をフェルミ推定で……

 この例題をもとに、いよいよワクチン接種問題に応用してみよう。

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