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私たちの根っこにある「反文明」の思想はどこから来たのか

世界遺産登録を前に、縄文文化の世界史的な意味を考える

山下祐介 東京都立大学教授

 北海道・北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録がようやく決まる見通しだ。縄文文化がもつ私たちにとっての意義を、ここで改めて考えてみたい。

国の特別史跡「三内丸山(さんないまるやま)遺跡」をはじめとした「北海道・北東北の縄文遺跡群」が今年5月、事前審査する諮問機関によって「登録」を勧告された。7月にオンラインで開かれる世界遺産委員会で、正式にユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録される見通しだ。

始まりは27年前の三内丸山遺跡の衝撃

 縄文文化はまずは日本列島の文化である。ではこの列島における縄文文化の意味とは何だろうか。

世界文化遺産に登録される見通しとなった北海道・北東北の縄文遺跡群の中心的な存在である三内丸山遺跡=青森市 拡大世界文化遺産に登録される見通しとなった北海道・北東北の縄文遺跡群の中心的な存在である三内丸山遺跡=青森市
 27年前の1994年7月、三内丸山遺跡の発掘成果を報じるニュースが全国を駆け巡った時のことを思い起こしたい。世界遺産登録にいたる過程の発端はここにあった。

 三内丸山遺跡の衝撃とは何だったろうか。

 日本の中心はヤマト、これが常識――。

 弥生時代に確立された稲作農耕を基幹とする〝瑞穂(みずほ)の国〟こそが日本文化の基層、これも常識――。

 弥生文化は西日本発。日本の国は西から生まれ、東日本は後発である。なかでも遅れた地域・東北、これも常識――。

 そうした常識を、一発で覆すものが検出された。それが三内丸山遺跡だったのである。それは縄文文化そのものの内容を書き換えた。多くの遺跡の見直しや新発見も進み、今では弥生以前の日本の、豊かな精神性で彩られた基層文化として縄文は意味づけられている。

司馬遼太郎が予言した「北のまほろば」

 1994年7月をもう少し振り返ろう。

 当時、司馬遼太郎が週刊朝日で「街道をゆく」を連載中で、青森県内をめぐる「北のまほろば」を執筆中だった。今から思えば氏の晩年にさしかかっており、「街道をゆく」はその最終章に入っていた(この後、「三浦半島記」があり、「濃尾参集記」が未完で「街道をゆく」は終わる)。

 司馬は、この旅をはじめるにあたって、青森県を「北のまほろば」と表現した。日本武尊の「ヤマトは国のまほろば」に対する、「北のまほろば」というわけである。

 それが物の見事に、まさかと思うような形で、現実に遺跡として現れた。

 司馬も、「北のまほろば」がまさかの予言的中となったことに自ら驚いたのだろう。「白昼夢のような話である」と、この報道に接した時のことを記している。

 それから四半世紀が過ぎ、縄文の「まほろば」は世界遺産となる。

 弥生時代の中心は北九州、ヤマト国家の中心は奈良盆地、それ以後も京・大坂、江戸・東京と、つねに列島の西側に文化の重心は引っ張られてきた。だが、それに先立つ縄文時代は、東北に、それも北東北・南北海道という、列島北端の地にあった。そこが文化の中心だったのである。(『津軽学9号 北のまほろば 津軽再発見』参照)。

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筆者

山下祐介

山下祐介(やました・ゆうすけ) 東京都立大学教授

1969年、富山市生まれ。弘前大学准教授などを経て現職。専門は社会学(都市社会学・地域社会学・農村社会学・環境社会学)。過疎高齢化、災害、環境問題などに取り組む。著書に、『限界集落の真実』『東北発の震災論』『地方消滅の罠』(ちくま新書)、『「復興」が奪う地域の未来』(岩波書店)、『「都市の正義」が地方を壊す』(PHP新書)、『地域学をはじめよう』(岩波ジュニア新書)などがある。『津軽学』『白神学』の活動にも参加。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです