AIも苦手な「意思決定の統合」という課題
2021年06月29日
日本は、ふたつの大きな課題の間で引き裂かれている。ワクチン接種の遅れと、またそれを含めたコロナ対応の大幅な立ち遅れという現実。もうひとつは、オリ・パラを何が何でも強行するという方針だ。国外からの観客を諦めるという決断は早かったが、パンデミックの終息どころか第5波の不吉な予兆の中、国内からの観客上限、会場での酒類販売などをめぐって手探りが続いている。
なんでこんなことになったか。結論を先取りして端的に言えば、「意思決定の統合」ができなかったからだ。残念ながら本稿も後付けの分析に過ぎないが、この意思決定の統合問題は今回に限らず、現代社会が今後も直面する大きな問題と予測できる。また日本の政治・官僚機構がその構造上、特に苦手とする問題に見える。将来のために少しでも掘り下げておきたい。
ここでいう「意思決定の統合」とは、相反する結論の合理的な統合を意味する。以下で見る通り、ワクチン接種が日本で立ち遅れたことにはそれなりの事情があり、そこだけ見ればいちがいには非難できない。他方でオリ・パラについてもこれまでの経緯や、ドタキャンに伴って発生する補償問題・経済損失だけ見れば、強行方針にも理由がないわけではない。ただこの「だけ見れば」というあたりに、問題が集約されている。つまりそれぞれの領域で最適に見える結論が出たとしても、その結論同士の整合性を問い、統合する、合理的で強力な意思決定の主体(エージェント)が、どこにもいなかった。政府にも、行政にも、専門家にも、AIの世界にも。
お忘れかもしれないが、国内でのワクチン接種の遅れが問題化したのは比較的最近、「ここへきて急に」のことだ。というのは他でもない、接種の進んでいる先進国での感染抑制の効果が出てきて、にわかに「日本は何をしているのか」という流れになった。実際ワクチンの接種が早く進んだイスラエルや米国では、その効果が今年2、3月には統計にはっきりと現れてきた。欧米諸国も国ごとに事情はちがうが、おしなべて初期の感染爆発で(皮肉なことに)集団免疫の下地が出来ていた。そこへワクチン接種の効果が重なり、感染率が沈静化した。
ではなぜ、日本ではワクチンの開発・接種が軽視、あるいは少なくとも後回しにされたのか。納得できない、と思った向きも多いはずだ(筆者自身を含め)。医学・生物学のレベルは高く、公衆衛生も医療体制の面でも、先進国ではなかったのか。もちろんワクチン開発・安全確認には時間がかかるが、それは欧米とても同じだ。そして、どこよりも早くコロナ禍を鎮静化させたい特別な理由が、日本にはあった。一度延期したオリ・パラの開催という理由だ。だがこの最後の理由が、接種促進の方に十分働かなかった。
背景には、伝統的に慎重な日本の医療体制・文化がある。一般に米国などと比べ、新薬や新ワクチンの認可に時間と手続きを要する。
実際、緊急に開発されたワクチンの副反応は軽視できない。古くは1970年代、天然痘ワクチンなどの副反応をめぐり政府相手の集団訴訟があった。さらにジフテリア、百日ぜき、破傷風(DPT)の三種混合ワクチンの副反応、投与後の死亡が問題になり、接種は一時中断。また1980年代末から90年代初頭にかけては、はしか、おたふくかぜ、風疹の新三種混合(MMR)ワクチンを受けた子どもたちに無菌性髄膜炎の副反応が報告されて、同ワクチンは中止、等々(AFP・BBNews, 2月1日)。こうして歴史的に、ワクチンの副作用を警戒する日本の医療文化が形成された。
米国の場合、ファイザーやモデルナ製ワクチンは実は
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