世界遺産登録をきっかけに縄文を学ぼう
2021年07月29日
三内丸山遺跡が発見され、公開されたのは1994年夏のこと。それから四半世紀の月日が流れて、ついに北海道・北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録が正式に決まった。
長くかかった面もあり、決まってホッとした感があるが、まずは素直に喜びたい。そしてなにより、遺産登録の陰に多くの市民の方々の応援があったことを確認しておこう。世界遺産は応援したから登録されるというものではないが、市民の声なしにはなりえないからだ。
とくにこの数年で、縄文文化は広く多くの人に親しまれるようになったと感じる。とくに印象深かったのは、2018年夏に東京国立博物館で開催された特別展「縄文―1万年の美の鼓動」だろう。国宝土偶の五つがすべてそろうこともあり、上野公園に多くの人が詰めかけたのも、コロナ禍にあって、なにか夢のようである。
とはいえ、この時気になったのは、あまりにも「お宝」を集めすぎ、本来それらが出土した遺跡が、軽く扱われているのではないか、ということだった。上野の展覧会には、いつもどこか中央集権的雰囲気が漂う。
遺物は、それがあった場所と一緒に考えなくてはならない。今回の縄文の世界遺産登録が、北海道・北東北の各遺跡への関心につながることと期待したい。
例えば、青森県つがる市の亀ケ岡遺跡の遮光器土偶。
「日本で最も有名」な土偶とされる東京国立博物館所蔵の彼女は、完体ではないので(片足がない)国宝には選ばれないようだが、国宝土偶以上の人気者である。だがこの土偶、やはり列島の北の果てのこの地、この場をふまえてこその価値だと思う。列島の中心、ヤマト国家が異国の工人の力を借りてつくり出した仏像などとは、やはりその意味が違う。
そして国宝の中空土偶もまた北海道の大地で見るべきもの。
いずれの遺跡も、今何かがあるわけではないのだが、その場所に立つことからその意味を感じ取るべきものである。なぜ日本列島の北の地に、それも北海道や青森県のなかでも、いま中心とはいえないような場所に、という形で。
また遺物では、是川遺跡からでているものが筆舌に尽くしがたく、是川縄文館で展示されている大量の遺物群は、その一つ一つにただうめくしかないものである。合掌土偶一つを見ただけで、この遺跡を理解してはならない。
その場に立つということでは、大平山元遺跡は、その遺物のとんでもない古さと、何の変哲もないその場所のミスマッチが創造力を刺激するし、キウス周溝墓はこれはもう見ただけで度肝を抜かれる類いのものである。
そしてなにより、大湯環状列石は、UFOの発着基地だ
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