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英語は無用! 益川敏英さんは「ガラパゴス」の信念を貫いた

世間を相手に「平場」のトーク、ボトムアップ目線で社会批判

尾関章 科学ジャーナリスト

 ぼくは益川さんとコンビを組んでいた――そんなことを私が言ったら、僭越の極みとたしなめられるに違いない。7月23日に81歳で死去した京都大学名誉教授の益川敏英さんは2008年にノーベル物理学賞を受けた人。コンビの相方を名乗れるのは、かつての共同研究者であり、ノーベル賞の共同受賞者ともなった小林誠さん(高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授)くらいだろう。

ツッコミ対応、芸人の域

拡大朝日地球環境フォーラム2012で対談する益川敏英さん(手前)と筆者=2012年10月15日、東京都港区
 ただ、私が2010~2013年につごう4回、公開の場で、インタビューの聞き手や対談の相手を務めたのは事実だ(うち1回は、「論座」科学・環境ジャンルのキック・オフ・インタビュー「益川敏英さん、コトバの爆発」=当日はニコニコ生放送がライブ中継した)。回を重ねるごとに、こんなツッコミを入れればあんな反応が返ってくる、というやりとりがギャグのように頭にたたき込まれた。二人の呼吸は、芸人コンビの域に達していたと言ってよい。

 2010年ごろは、益川さんの人気絶頂期。ノーベル賞受賞のニュースで学者らしくない愛嬌をふりまいたことが、人々の脳裏に焼きついていた。だから、私の古巣である朝日新聞社をはじめ、あちこちの団体から講演依頼が殺到したのだ。とはいえ、本人はバリバリの素粒子物理学者。それも理論家だ。開口一番、「クォーク」だの「対称性の破れ」だの耳慣れない言葉が飛び出して、講演は難解を極めるのではないか。主催者が、そう恐れても不思議はない。だから、私に声がかかったのだ。科学記者なら専門用語をかみ砕いてくれるだろう、話が専門領域に深入りすれば軌道修正してくれるだろう――と。

自分の専門に引き込まない

 だが、その心配は無用だった。益川さんには話題を自分の専門に引き込もうとする野心がまるでないのだ。相方は、話の流れが主催者の意向に沿うように水を向ければよい。益川さんは、科学の話であれ、教育の話であれ、環境保護の話であれ、なんでも歯切れよく語ってくれた。

 たとえば、科学についてはどうか。若手研究者の働き口がないという話題なら、最初に志した専門にこだわらず、途中からでも「こっちのほうがおもしろい」と思う分野に方向転換できる制度があればよい、とズバッと言う。巨大科学に巨費がかかるという話題になれば、プロジェクトの研究者は世界中を行脚して賛同者を集め、その人数がある水準に達したら研究費をもらえるようにしてはどうか、と提案する。いつも感心するのは、壇上にいても講演者の目線にはならず、平場(ひらば)にいる感じで話をすることだ。こういう話しぶりの科学者は、そう多くはいない。

ボトムアップの筋を通す

拡大ノーベル賞の受賞を記念して開かれた講演で、学生を前にユーモアを交えながら話す益川敏英さん=京都大学、2008年10月8日
 さらに言えば、益川さんの話は平場仕様であっても、昔の床屋政談や、昨今のテレビで見かけるコメンテーター談議とは一味違う。決して、市民感情に乗っかっているのではない。一本、筋が通っている。ものごとをボトムアップの視点で見る、ということだ。前述の例で言えば、本人の好奇心次第で専門を換えられるようにしたいという発想には、個々人の意思の尊重がある。研究の賛同者を集めるという構想には、科学にも民主主義を根づかせたいという思いが見てとれる。

 会話をしていて私が気づいたのは、益川さんの胸の内には、いろいろな立場、いろいろな階層の人が自由にものを言い合う風通しの良い社会が理想像としてある、ということだ。その理想像と現実社会とのズレを意識しながら、ボトムアップの提言をする。これが、益川流の社会批判だと言ってよい。1940年生まれ、多感なころに戦後民主主義の空気をいっぱい吸ってきた人だからこそできたことだろう。

拡大京都産業大学の益川敏英さんの研究室。壁には、天井まで専門書がびっしりと並んだ=2008年9月
 さて、インタビューや対談は、こんな硬い話だけで1時間も2時間ももつわけがない。だから、コンビの相方は随時、定番のネタを織り込んだものだ。それを箇条書きにしてみよう。

・コーヒーの話……ご本人はモカがお気に入り。次いでブルーマウンテン。ノーベル賞の受賞研究を発表した京大助手時代は、通勤ルートの京都・三条四条界隈にお気に入りの喫茶店があり、朝方、そこでコーヒーを味わいながら論文に目を通した(主催者に頼んで対談中にコーヒーを出してもらったこともある)。
・音楽の話……クラシック音楽のファン。とくに好きなのはブラームス。
・本の話……とにかく読書好き。本代で「小遣いの7分の6」が消える。数学書、歴史書、小説を読む。
・日課の話……なにごともマイペース。東京出張のときは、都内の予定が何時からであっても、京都駅ではいつも早朝同時刻の列車に乗る。東京に着いてからは約束の時刻まで書店で立ち読みしたり、気に入った本を買い込んで喫茶店で読んだり。本に夢中になって遅刻、「早く着きすぎて遅れました」と弁解したことも――この話には、そんなオチもついた。

テッパンだった英語ネタ

拡大ノーベル賞受賞講演で日本語で自身の生い立ちと研究について語る益川敏英さん=2008年12月8日、ストックホルム
 そして究極のテッパンネタは英語だ。益川さんはめったに英語をしゃべらない。ノーベル賞授賞式に出るためにストックホルムに赴いたのが、初の海外渡航。現地での受賞記念講演も、異例のことだが日本語で話しきった。この話題は、世の大勢を占める「英語は苦手」派に大いに受けた。

 このネタにもオチがある。東京出張時の書店探訪では、洋書売り場で立ち読みすることが多い、というのだ。専門分野の原書を1冊、立ち読みだけで完読したという武勇伝も聞いた気がするが、私の手もとにその記録は残っていない。益川さんによれば、英語でもっとも苦手なのはヒアリング。読むほうは「漢文を日本語として読むのと同じ読み方」で、難なくこなしているという。

海外との距離感、端境期の世代

 益川さんは、どうして英語をしゃべらなかったのか。

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筆者

尾関章

尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト

1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。週1回の読書ブログ「めぐりあう書物たち」を開設中。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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