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ウェブ誕生30年、先駆者・森田洋平さんに聞く

ターニングポイントは、彗星の木星衝突だった

勝田敏彦 元朝日新聞記者、高エネルギー加速器研究機構職員

蜘蛛の巣拡大網状のクモの巣=shutterstock.com
  生活に欠かせない社会インフラになったウェブ。ニュース閲覧や調べもの買い物などなどで毎日のように使うようになり、インターネットとほぼ同じ意味で使われることも多い。そのウェブが今年、誕生から30年を迎えた。日本で最初のウェブサイトをつくった沖縄科学技術大学院大学の森田洋平シニアマネジャー(60)に話を聞いた。

世界初のウェブはCERNの情報共有プロジェクト

 今から30年前の1991年8月、ジュネーブ近郊にある欧州合同原子核研究機関(CERN)で、あるプロジェクトの概要がインターネットに公開された。

 そのプロジェクトとは、CERNのコンピューター科学者、ティム・バーナーズリー氏が考えた「ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)」。ウェブとはクモの網のような構造のことで、それが世界を覆うというイメージから名付けられた。今では単にウェブと呼ぶことも多い。

 色も写真もない簡素なサイト(図)に、こんな説明が書いてある。

 「WWWとは、あちこちに散らばる文書にどこからでもアクセスできることを目指した、情報取得の広範囲の仕組みのことだ」

 バーナーズリー氏は前年12月にWWWに関するサイトを公開したが、誰もつながっていないので"ウェブ"とはいえない状態だった。91年8月にインターネットのコミュニティーに参加を呼びかけたことでこのサイトが広く知られるようになり、この時点を世界への公開とみなす人が多い。

 CERNは、高エネルギー物理学研究の世界的な拠点だ。数百~数千人という科学者が粒子加速器の設計や実験などに加わるが、当時からいろいろなメーカーの独自規格のコンピューターが使われ、情報交換が難しくなっていた。一方、バーナーズリー氏は、「ハイパーテキスト」の考え方を応用し、情報の整理ができないかと考えていた。ハイパーテキストとは、テキストの中のキーワードや写真をタップすると別の文章などが表示されたりする仕組みのこと。バーナーズリー氏はこれをインターネット技術と組み合わせた。そして生まれたのが、WWWだった。

1年後、日本がウェブにつながる

森田洋平さん拡大森田洋平・沖縄科学技術大学院大学シニアマネジャー=本人提供

 同じころ、茨城県つくば市にある高エネルギー物理学研究所(KEK)=現・高エネルギー加速器研究機構=職員だった森田さんも、この情報交換の問題に悩んでいた。

 森田さんは翌92年、上司の渡瀬芳行さんと一緒にフランスで開かれた国際会議に参加し、この分野でのコンピューター活用を話し合ったあと、CERNを訪問した。そこで森田さんはバーナーズリー氏に会った。初対面だったが、熱心な説得を受けた。

 「『これが世の中変えるんだ。お前のところでもサーバー立てろよ』というふうに言われ、『わかった、わかった。じゃあ、つくるよ』と。遠隔操作でKEKのコンピューターにログインしてファイルを編集し、『ここに作ったからリンクしてね』とティムにメールを送ったら、すぐに『リンクしたよ』って。これが、日本がウェブにつながった瞬間ですね」

日本最初のウェブサイトが置かれたサーバー拡大日本最初のウェブサイトが置かれたサーバー=茨城県つくば市の高エネルギー加速器研究機構

 実は

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筆者

勝田敏彦

勝田敏彦(かつだ・としひこ) 元朝日新聞記者、高エネルギー加速器研究機構職員

1962年兵庫県生まれ。京都大学大学院工学研究科数理工学専攻修了。1989年朝日新聞社入社、科学部員、アメリカ総局員、科学医療部次長、メディアラボ室長補佐などを経て2021年6月に退社。現在は高エネルギー加速器研究機構に所属。著書に『でたらめの科学 サイコロから量子コンピューターまで』。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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