ターニングポイントは、彗星の木星衝突だった
2021年09月10日
今から30年前の1991年8月、ジュネーブ近郊にある欧州合同原子核研究機関(CERN)で、あるプロジェクトの概要がインターネットに公開された。
そのプロジェクトとは、CERNのコンピューター科学者、ティム・バーナーズリー氏が考えた「ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)」。ウェブとはクモの網のような構造のことで、それが世界を覆うというイメージから名付けられた。今では単にウェブと呼ぶことも多い。
色も写真もない簡素なサイト(図)に、こんな説明が書いてある。
「WWWとは、あちこちに散らばる文書にどこからでもアクセスできることを目指した、情報取得の広範囲の仕組みのことだ」
バーナーズリー氏は前年12月にWWWに関するサイトを公開したが、誰もつながっていないので"ウェブ"とはいえない状態だった。91年8月にインターネットのコミュニティーに参加を呼びかけたことでこのサイトが広く知られるようになり、この時点を世界への公開とみなす人が多い。
CERNは、高エネルギー物理学研究の世界的な拠点だ。数百~数千人という科学者が粒子加速器の設計や実験などに加わるが、当時からいろいろなメーカーの独自規格のコンピューターが使われ、情報交換が難しくなっていた。一方、バーナーズリー氏は、「ハイパーテキスト」の考え方を応用し、情報の整理ができないかと考えていた。ハイパーテキストとは、テキストの中のキーワードや写真をタップすると別の文章などが表示されたりする仕組みのこと。バーナーズリー氏はこれをインターネット技術と組み合わせた。そして生まれたのが、WWWだった。
同じころ、茨城県つくば市にある高エネルギー物理学研究所(KEK)=現・高エネルギー加速器研究機構=職員だった森田さんも、この情報交換の問題に悩んでいた。
森田さんは翌92年、上司の渡瀬芳行さんと一緒にフランスで開かれた国際会議に参加し、この分野でのコンピューター活用を話し合ったあと、CERNを訪問した。そこで森田さんはバーナーズリー氏に会った。初対面だったが、熱心な説得を受けた。
「『これが世の中変えるんだ。お前のところでもサーバー立てろよ』というふうに言われ、『わかった、わかった。じゃあ、つくるよ』と。遠隔操作でKEKのコンピューターにログインしてファイルを編集し、『ここに作ったからリンクしてね』とティムにメールを送ったら、すぐに『リンクしたよ』って。これが、日本がウェブにつながった瞬間ですね」
実は
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