西成活裕(にしなり・かつひろ) 数理物理学者、東京大学先端科学技術研究センター教授
1967年東京生まれ、東京大学大学院工学系研究科修了、博士(工学)。ムダとり学会会長、ムジコロジー研究所所長。専門は数理物理学。さまざまな渋滞を分野横断的に研究する「渋滞学」を提唱し、著書「渋滞学」(新潮選書)は講談社科学出版賞などを受賞。東京オリンピック組織委員会アドバイザー。趣味はオペラを歌うことと合気道。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「なぜ歩きスマホで歩行者同士がぶつかりそうになるのか」で動力学賞
ご存じない方のためにこの賞を簡単に説明すると、アメリカのマーク・エイブラハム氏が1991年に創設したもので、もちろん「本家」ノーベル賞のパロディーである(英語で「不名誉な」という意味の形容詞 ignobleにかけて、Igとノーベルを組み合わせて作られた造語)。彼はAnnals of Improbable Researchという年6回発行している雑誌の編集長であり、この雑誌自体も「音痴のしくみ」や「ダイエットの方法」など、身近で風変わりな研究を毎回紹介している。
受賞を機にこれまでの31回のイグ・ノーベル賞をいくつか見てみたが、確かに犬語翻訳機「バウリンガル」の開発や、床に置かれたバナナの皮を踏んだ時の摩擦力など、どこかユーモアのある研究が多かった。しかしその多くはきちんとした専門雑誌に論文が掲載されているもので、決してキワモノの怪しい研究ではない。我々の研究もScience Advancesという評価の高い専門雑誌に今年3月に掲載されたものだ。
まずこの研究成果は、ひとえに研究室のスタッフである村上久助教(2021年より京都工芸繊維大学に異動)、フェリシアーニ・クラウディオ特任准教授、および長岡技術科学大学の西山雄大講師らの若いパワーのおかげである。当の本人たちは、もちろん研究中は笑いの要素は無く、知力と体力を振り絞って実験を行い、結果を解析し、そして長く真剣な議論の末に論文をまとめあげた。イグ・ノーベル賞は名誉なのか、という議論はさておき、とにかく全世界の注目を浴びたという意味では、特に若手研究者には今後の人生へのとても良いステップになったと思う。
そしてまた、ウケを狙ってとれるような賞ではないこともまた事実である。実際にこの賞の候補に挙がるのは毎年1万人を超えるそうだ。その中から様々な人々が多様な視点で評価するため、その過程で怪しいものは排除され、また研究に深みのないものも対象にならないそうで、本当にこの狭き門を突破できたのは今でも信じられない。
さて、このイグ・ノーベル賞は、本家ノーベル賞と同様の物理学賞や化学賞などのほかにもカテゴリーがあって、合計10程度に分かれている。我々は(本家ノーベル賞にはない)動力学賞というカテゴリーで、一言でいえば「なぜ歩行者はお互い時々ぶつかるのか」という研究に対して賞をいただいた。一方、今年はとても似たものも受賞している。それはオランダの研究グループの物理学賞で「なぜ歩行者はお互いぶつからないのか」という研究だ。
この2つはまさに対になっている。物理学賞の研究も、権威あるPhysical Reviewという専門雑誌に掲載されており、やはり真面目な研究なのだ。つまり、対象が歩行者であることはどちらも同じなのだが、真剣に研究をして得られた結論がお互い矛盾するように見える、というところが面白く、また研究の奥の深さを表している。
もっともこれは研究の世界ではよくあることで、要するにどちらも間違っていないのだが「前提条件」が全く違うのだ。我々の実験は