研究不正への対処として組織を廃止するのは、角を矯めて牛を殺す行為ではないか
2021年10月29日
京都大学が付置研究所のひとつである霊長類研究所(霊長研)を解体すると、10月26日に発表した。この決定は京都大学の社会的使命に反するのではないか。霊長研で大学院生活を送ったOBのひとりとして、切にそう思う。
社会が大学に望むことは、突き詰めれば教育と研究だろう。すなわち、高度な知識と時代を見通す力を持った人材を育成すること、そして、そのために必要な知の最先端を切り開くことである。すべての大学が研究を重視しているわけではないし、養成される人材のタイプも大学によりさまざまだが、「大学」全体として見た場合の社会的機能はこの2点に集約される。
まして、京都大学は日本で屈指の研究重視型の大学である。つまり、最前線の学術的成果を研究開発し、それを教育に環流させることが期待されているはずである(アメリカンフットボールや個性的なタテカンも期待されているかもしれないが、それはさておき)。
今、地球と人類と日本は大きな岐路にいる。環境問題、民族問題、格差と分断の拡大、少子高齢化、ロボットや人工知能との共存など、人類史上かつてなかったさまざまな地球規模の問題に、世界中が直面している。
これらの解決と軽減に多くの人と組織が取り組んでいるが、その際のよりどころとして何よりも重要なのが科学的な判断基準である。現象自体のデータは何より必要だし、人とはそもそもどういう生物なのかを知ることは、私たちに必要な環境を明確にするために不可欠だ。
霊長研は、まさにこのような分野に貢献する研究を進めていた、世界的にも水準の高い拠点ではなかったか。霊長研の研究者たちによる、サルの文化的行動や子殺し行動の発見、類人猿の言語能力といった高度な認知世界の探求などは、私たちヒトとはどういう生き物なのかについての見方を、覆すものだった。
これらの研究成果は、ヒトだけが文化や言語をもつ特別な存在だという先入観を一掃し、地球と自然の前で私たちがより謙虚でなければならないことを教えてくれた。そして、絶滅のおそれがあるサル類の保全でも中心的な役割を担ってきた。
この組織を縮小することは、大学が今の時代に要求されている研究分野の拠点を、みすみす手放すことではないか。
京都大学の決定の理由は、元所長で高名な認知科学者の松沢哲郎氏(2020年に懲戒解雇)らによる約11億3千万円の研究費の不正使用が主な原因である。同じく認知科学者で霊長研の教授であった正高信男氏(20年度で定年退官)による実験データ捏造も同じタイミングで調査結果が判明し、最後のとどめを刺した形になった。
研究費の不正使用や研究不正が許せないものであることはもちろんだ。しかし、研究不正への対処として組織を廃止するというのは、角を矯めて牛を殺す行為ではないか。おそらく京都大学側の認識は、
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