日本で強度や精度が高まり、洗練された手仕事の世界が広がった
2021年11月05日
こうした技法は「木組(きぐみ)」と総称され、木造の建築物などの随所に仕込まれて活躍している。釘などの金物を使わずに済む優れものだが、ひとたびそれが完成すると、外見的にはもう目立たない。そんなひそかな存在だけに、普段から木組を意識して建物を見ている人は少ないだろう。
そこで木組をもう一度分解して見せることで、関心を高めてもらおうという巡回展示を公益財団法人・竹中大工道具館(神戸市中央区)が進めている。これが東京・上野の国立科学博物館へやって来て、同館の資料を加えた共同企画展として開かれているので会場を訪ねてみた。
木組の技法の基本は「ほぞ」と呼ばれる突起と、それが入る「ほぞ穴」の組み合わせだが、四方差しともなると接合部はそんな単純な細工では済ませられない。複雑な形状の突起と穴を組み合わせ、さらに栓を加えて固定することで、構造物として十分な強度を保つ工夫がなされている。
ほぞが加工された材は縄文時代の遺跡からも出てくる。しかし、それによって丈夫な構造になったとは思われず、当時は植物のつるなどで縛っていたのだろう。
竹中大工道具館の坂本忠規主任学芸員によると、現代につながる木造建築の木組は、飛鳥・白鳳時代の仏教伝来とともに中国からもたらされた。鎌倉時代に禅宗文化が取り入れられると、建築様式にまた大きな変化が見られるようになった。「日本は技法のバリエーションを増やし、洗練させていった。結果として、そこに中国とは違う独自の木組が発達していった」と話す。
理由として考えられる一つに、頻繁に起こる地震がある。被害を抑えるために、日本では木材同士をより精度よく組み合わせて、強度を高める必要があった。さらに挙げられるのは、長く国内で建材として使われてきたヒノキの存在だ。適度に軟らかくて加工しやすく、ぬくもりや香りを生かすために彩色せずに白い無垢材のまま利用される。その美しさを損なわないように、木組の接合部を目立たせないような知恵と工夫が意識的に重ねられた。これらが相まって、日本に独自の精緻な木組の技法が発達したのだという。
会場では「蟻継ぎ」や「鎌継ぎ」「金輪継ぎ」など代表的な接合技法のしくみを見ることができる(「蟻継ぎ」や「鎌継ぎ」の名前の由来は、接合部の形がアリの大あごやヘビの頭部(鎌首)に似ていることだそうだ)。
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