国民が頑張った行動にも注目を
2021年11月04日
「選挙の結果は、後で見ればいいや」と、ヘッドラインを見た後は別の録画した番組を見ていたが、「あ、天気予報は見なくっちゃ」と再びNHK総合に戻した。すると、なんと19時25分頃―ちょうど、天気予報の時間である―に、吉沢亮さんの姿が飛び込んできた。一瞬、あれ? となったが、「ああ、“晴天を衝(つ)け”をやってるんだ」とわかった。
開票速報が19時55分に始まるのだから、45分の大河ドラマを19時台で終わらせるには、ニュースに残された時間は「10分」しかなかったのだ。単純な計算だ。だが、その日の出来事を振り返るニュースは、何を基準に10分で終えられると決めたのだろうか。
人は限られたリソース(時間やお金など様々)に直面し、それを費やして「何をするか」を考えるとき、自(おの)ずとそれぞれの事柄の優先順位を考える。もし、何かのプレゼンテーションをしなければならないとき、最初は持ち時間が30分だと言われていて、直前に「都合により10分でお願いします」と依頼されれば、元々の30分の最初の10分を発表するということはないはずだ。準備していた内容を見直し、それぞれに「優先順位をつけ」、順位の高いものを残して低いものを外すという「取捨選択」を余儀なくされるだろう。
このような選択は、余命〇カ月と宣告されたときに「残りの人生、何をするか、誰と過ごすか」といったときに明確に自覚される。おそらく多くの方は、家族と過ごすことにその時間を使うだろう。それが持ち時間の中での取捨選択ということだ(最も究極な例は、御巣鷹の尾根に墜落してしまったJAL123便であろう。そのことを予感した乗客が書き残したメモは「家族へのメッセージ」であったという)。
限られた持ち時間に人は究極の選択をし、そこにはその人の優先順位、「何がその人にとって大事なことなのか」が表れる
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