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「ハバナシンドローム」、実は集団心因性の症状?

兵器、コオロギ……。これだけ調べられても原因不明

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 最近、日本のメディアでも「ハバナシンドローム」という語をよく見るようになった。2016年キューバで、米国・カナダの外交官、諜報(ちょうほう)員らが訴え出した神経学的な症候群のことだ。その後世界各地で、米国外交官、兵士、CIA職員らから200件を超える類似の報告がある。症状は頭痛、吐き気、めまい、聴覚障害、集中力の低下など。ときには重症となり、脳損傷が疑われるケースさえある。「敵国」の諜報機関による、未知の新兵器のしわざではないか。西側の活動を盗聴したり、あるいは苦しめたりする目的なのではないか、と疑心暗鬼は広がった(ニューヨーク・タイムズ 、2021年11月3日)。

キューバの米国大使館

 当時トランプ大統領は根拠を示さず「キューバの攻撃のようだ」と述べ、キューバ滞在中の外交官や家族を海外に退避させ、大使館を実質閉鎖。さらに米国駐在のキューバ外交官15人をワシントンから追放するなど、外交事案に発展した。ただキューバは、この容疑を即座に否定している(朝日GLOBE+、10月22日など)。ハリス副大統領が今年8月、ベトナムを訪問した際にも、複数の駐在職員が症状を訴えたためスケジュールが遅れた。

これだけ調査して、いまだに原因不明

 この「異常な健康事案」について、行政府や科学者、ジャーナリストらによって、原因解明の試みがなされ、いろいろな仮説が提唱されている。いわく光線、あるいはマイクロ(極超短)波、超音波兵器など。また蚊の殺虫剤が原因とする説も出た。ただ症状が起きた場所の音響記録の分析から、なんとある種のコオロギ(特に鳴き声の大きい種類)の鳴き声が、一時期有力となった。

 このことは米国のネットメディアが、機密解除になった米国務省による科学報告書を情報公開制度を利用して入手して、明らかにした(BuzzFeed News、9月30日)。略称JASON(米国政府に委託された独立科学諮問グループで、トップクラスの物理学者など科学者60人で構成)の報告書だ。それによると、単一の物理的なエネルギー(マイクロ波、超音波など)が原因である可能性はきわめて低い。唯一あり得そうなのがこのコオロギの鳴き声で、また集団心因性疾患の可能性にも言及した。

shutterstock.com

 最近になってブリンケン米国務長官は、対策チームを統括する高官を任命したと発表(毎日新聞、11月6日)、あらためて政治の表舞台に登場させた。

 米政治メディア「ポリティコ」は10月、米当局から説明を受けた議員らの話として、健康被害の原因が「指向性エネルギー攻撃」だとする新たな証拠が見つかったと報じた。当局は、ロシアなど敵対的な外国政府が攻撃に関与しているとの見方を強めているが、反面、決定的な証拠はないともいう。この直近の動きを含め、ハバナシンドロームはますます医学的・科学的な事実を離れ、国際政治案件として実体化しつつある。

 結局まだ誰も結論にたどり着けていないが、筆者は当初から集団心因性疾患の可能性を疑っていた。今回あらためて調べ直して、すでにその点は指摘されていることがわかった。

 たとえば最近のニューヨーク・タイムズの署名入り記事では(11月3日、Serge Schmemann)、著者自身が若きニュースリポーターとしてソビエト連邦(当時)に入国した体験をつづっている。西側から入国したメディア関係者は「常にKGBに監視されている」不安から、わずかな音や光にも飛び上がってしまう心理状態に置かれた。著者も実際に(そうした不安から来る)眼球けいれんに悩まされたという。

 また医療、社会医学などの専門家も「これだけ調べても、物理的な原因は可能性すら見いだせていない」とし、「心身症的な反応」説を推している。心身症とはいえ、普通の意味の「病気」と同じように症状はリアルで、患者は歩けないほど衰弱し得る(だから、あえて東側の攻撃として見ると

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