海岸の植物たちは東日本大震災による津波の影響を静かに伝えてきた
2021年11月27日
野山や海岸に立って頭の中に絵の構図を浮かべる。そして収めようとする植物の姿をスケッチしていく。自宅に帰ると、それをもとに構成を整えて、下絵をトレーシングペーパーに描いていく。そして、その裏に鉛筆の粉を薄くまぶしてから画用紙の上でなぞる。写し出された線を、もう一度勢いのある線で描き直す。このように下絵から3回描いて、ようやく描こうとする作品の輪郭ができあがる。
横幅1mにもなる大きな作品は、2011年の東日本大震災から4年後の初夏、岩手県宮古市の松月海岸で見た植物たちだ。海浜植物のハマエンドウが紫色の花を咲かせる周りに、普通ならここには見られないだろうシロツメクサ(白クローバー)やメマツヨイグサの姿があった。春に早々と咲いたタンポポの枯れた花茎も残っていた。
2011年のあの日、大津波はこの海岸を襲い、その引き波は内陸側の土を海辺近くに運んできた。その中にこれらの植物の種子が含まれていたに違いない。思いがけない場所に育った内陸の植物たちを、もともと海岸に生えていたハマエンドウが勢力を盛り返して覆い隠そうとしている。倉科さんは津波後の数年間にここで起こった植物たちの勢力争いを読み取りながら、1枚の絵として表していった。下絵だけで1年半、足かけ7年あまりをかけて今年、ようやく完成させた。
青森県三戸町で育った子どものころから野山の植物を描くのが好きだった。植物の絵が描けることに魅力を感じて、20代になると東京手描友禅の仕事を始めた。結婚を機に3年ほどで友禅の世界を離れたが、そこで使っていた染料と透明水彩絵の具の色の感じが似ているので、混色のバランスは当時の経験を今も生かしているそうだ。
植物の絵を描き続けるためにもう少し植物のことを学ぼうと、東京農業大学の科目履修生となったのが東日本大震災の発生した2011年。講義で阪神・淡路大震災の後、被災地にスミレがたくさん増えたという話を聞いた。「被災者の暮らしに植物が寄り添っているように感じました」。そして東日本大震災の被災地でも植物の変化が起こるのなら、自分の手で描いてみたいという思いに駆られた。
やがて、海岸沿いにある津波や地盤沈下の影響を受けた場所で珍しい植物が育っている、という報道がなされるようになった。でも、
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