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医学部あるいは東大という奇妙な二択

合格は、優秀さのラベル。受験の目標がそれでいいのか

須藤靖 東京大学教授(宇宙物理学)

 東大医学部を目指していた高校生による刺傷事件は社会に大きな衝撃を与えた。被害者の方々が一刻も早く回復されることをお祈りしたい。

周辺で高校生2人と70代の男性が切りつけられた東京大学。大学入学共通テストが実施される中、警視庁が鑑識活動を続けた=2022年1月15日、岩田恵実撮影

 最近、このような無差別テロとでも呼ぶべき凶悪な事件が目につく。現在の日本社会を覆う閉塞(へいそく)感が背景かもしれないが、その視点からの分析は専門家におまかせする。ここでは、今回の事件に直接関係するものではないが、大学教員の立場から医学部受験について論じたい。

 日本の大学入試においては、東京大学理科三類(2年間の教養学部前期課程を修了後にほぼ全員が医学部へ進学するコースなので、実質的には東京大学医学部)が最難関とされている。実際、入学試験の採点を担当すると、理科一類(主に工学部、理学部へ進学)、理科二類(主に農学部、理学部へ進学)の受験生より、平均点が明らかに高い。筆記試験の点数では、東京大学受験生のなかでもかなり上位の集団に偏っているのだ。

 さて、この意味をどう考えたらよいのか。そこに、筆記試験と相補的に適性を判断する要素をとりいれることは容易ではない。

医師になるための優秀さはどう判定すればよいのか

 医師が重い責任をともなう極めて重要な職業であることは論をまたない。その意味では「優秀」な人材でないと困るのは確かだ。重要なのは、医師にふさわしい「優秀」さを、どのように判定すべきかである。最終的には医学部卒業後の医師国家試験で判定されるとは言え、実質的には高校卒業後の医学部入試がその役目を担っていると言ってよかろう。とすれば、単に筆記試験の総得点のみならず、医者としての適性、倫理観、責任感など様々な要素を加味することが望ましいが、真面目に考えれば考えるほどその判定が困難であることは想像に難くない。

 ましてや、日本の入試システムにおいては、わずか1点の違いまでをも有意だと解釈することこそが公平公正だとの価値観が蔓延(まんえん)している。本欄でも「日本式入試しきたり『四つの怪』」 「大学入試サイコロ活用論に援軍あらわる」 「入試の公平性ってなんだろう」「入試ミス問題に対する現場の言い分」で論じてきた。そこに、筆記試験と相補的に適性を判断する要素をとりいれることは容易ではない。「主観的、さらには恣意(しい)的な要素が入り込む危険性があるとの批判を避けられないからである。そのため面接試験の結果をどのように用いるかにも賛否両論がある。

 というわけで、現時点では筆記試験の総得点がもっとも客観的な「医師になるための優秀さ」の指標であるとみなされている。なかでも東大理科三類受験生のかなりの割合は、その指標の最上位ラベル獲得を第一の目標としているように思えてならない。

 それは、受験生、合格者本人、そして社会にとって必ずしもプラスではない。

医師志望ではなく医学部合格志望

 決して東大に限らず、難関とされる医学部であるほど、受験生には優秀さのラベルとしての合格を目指す同様の傾向があるように思える。

 実際、「難関医学部」の学生のかなりの割合は、いわゆる全国の進学校出身者によって占められている。特に東大医学部の場合、その異常な偏りは、学生の内在的な職業選択意志だけでは説明困難である。むしろ、特に進学校においては、「難関校」合格を競うという雰囲気が、(無意識のうちに)生徒間さらには学校内で共有されているためであろう。

東京大の安田講堂

 進学校や予備校が、医学部あるいは医学部以外の「東大」の合格者数を実績として宣伝している事実はその証拠といえる。その結果、進学校の「優秀」な生徒のかなりの割合が、合格が難しいという理由のために、医学部あるいは東大のどちらかを受験すべきだと信じて疑っていない、さらにはその方向に指導すらされている可能性が高い。

 本人の興味や適性という観点からは、医学部あるいは薬学部、医学部あるいは生物系学科という選択を検討することはありえよう。しかし、医学部あるいは医学部以外の東大という二択に悩むとすれば、

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