尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト
1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。週1回の読書ブログ「めぐりあう書物たち」を開設中。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
モンタニエ博士死去で思う生命科学の「スピード感」
欧米メディアの報道によると、フランスのウイルス学者でエイズウイルス(HIV)の発見者として知られるリュック・モンタニエ博士が2月、89歳で死去した。この業績で同僚のフランソワーズ・バレシヌシ博士とともに2008年のノーベル医学生理学賞を贈られた人だ。ただ、私のように1980~90年代に医学取材を経験した元科学記者には、HIV第一発見者の地位をめぐって米国の研究者との間で熾烈(しれつ)な争いを繰り広げた人という印象が強烈だ。それは、米国の大統領やフランスの首相を巻き込んだ知的財産権の争奪戦だった。
ただ、モンタニエ博士は最晩年、科学界で異端者になった。フランスの通信社AFPの日本語ウェブサイトによると、博士は今回のコロナ禍でも「ウイルスは人工的に生み出された」「変異株の発生はワクチンが原因」といった根拠希薄な説を唱えたため、科学者の間で孤立感を深めていたという。20世紀終盤の新型感染症で大きな発見をして尊敬を集めた研究者が、21世紀の新型感染症については不適切な発信をして信頼を失う――この落差には驚くばかりだ。博士の軌跡をたどりながら、エイズの時代とコロナの時代を対比させてみたい。
まずは、HIV発見の経緯をたどっておこう。「後天性免疫不全症候群(AIDS、エイズ)」と呼ばれることになる未知の病が見つかったのは1980年前後。仏パスツール研究所のモンタニエ、バレシヌシ両博士らは患者のリンパ節細胞を培養、この病気にレトロウイルス(RNA遺伝子をもち、それをもとにDNAをつくり、生物のDNAに忍び込むウイルス)が関与していることを突きとめた。1983年5月には、そのウイルスを分離したことを米科学誌サイエンスに発表している。
これに対して、宿敵の米国立がん研究所ロバート・ギャロ博士のグループがウイルスを検出したと発表したのは翌春のことだ。ほとんど1年の時間差がある。それなのになぜ、先着争いなのか。モンタニエ博士たちがウイルスを見つけたのは確かだが、それがエイズの原因であることを見極めたのはギャロ博士たち――という評価が学界内にあったからだ。
しかもギャロ博士のグループは、見つかったウイルスに対する抗体測定法、即ちエイズ検査の手法も発表した。その特許が1985年、米国で認められる。これにフランス側は強く反発した。この対立に折り合いをつけたのが、1987年に訪米したシラク仏首相とレーガン米大統領の会談だ。このとき両国は、HIV発見ではギャロ、モンタニエ両グループが同等の貢献をしたとして、特許料を折半することで合意した。
だが、これでも一件落着とはいかなかった。