山内正敏(やまうち・まさとし) 地球太陽系科学者、スウェーデン国立スペース物理研究所研究員
スウェーデン国立スペース物理研究所研究員。1983年京都大学理学部卒、アラスカ大学地球物理研究所に留学、博士号取得。地球や惑星のプラズマ・電磁気現象(測定と解析)が専門。2001年にギランバレー症候群を発病し1年間入院。03年から仕事に復帰、現在もリハビリを続けながら9割程度の勤務をこなしている。キルナ市在住。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
ロシアだって放射能事故を恐れている
今から8年前にウクライナ東部のドンバス地方で内戦が始まった時、私は原発に戦火が及ぶ危険について書いた。当時は深刻に考える人は皆無に近かったが、今回の侵攻で多くの人々が実感するようになったと思う。
心配が高ずると、不確かな情報を元に、デマや誤報が流れやすくなろう。侵攻は言語道断だが、だからこそ、誤報等をもとに間違った行動を起こさないようにすべきだし、そういう誤報を頻繁に流すようなメディアには警戒すべきである。
そこで、原発事故による放射線汚染の問題に携わったことのある立場から、ウクライナの原発が被害を受けるリスクについて私見を述べたい。私は欧州地球科学連合(EGU)の総会で毎年、福島・チェルノブイリの放射能汚染に関するセッションの世話人を毎年務めており、さらに国連チェルノブイリ・フォーラムの報告書『チェルノブイリ原発事故による環境への影響とその修復:20年の経験』の翻訳も行なった。
そういう経験を踏まえて結論を先に書くと、ウクライナで原発事故が起こったら、確実にロシアとベラルーシにも大きな被害が出る。それゆえ今回の侵攻に当たってロシアは原発事故による被害を恐れており、誤爆の心配はいらない。だが、戦火を避けての管理放棄や、やけになっての自爆(冷却水を止めるような細工や管理機器の破壊)のリスクは無視出来ない。
上記の報告書には事故による放射能汚染の地図(図1)があるが、それによるとベラルーシやロシアの方がウクライナよりも放射能汚染がはるかにひどい。偏西風と季節風で、放射能が北東に運ばれたからだ。距離よりも風向きが問題であることは福島の放射能汚染が非常に偏っていることからもうかがうかがえるだろう。だからこそ原発事故による放射能汚染問題では、上記3国の研究者が協力し合うのが常で、それが今回の侵攻で途切れてしまうだろうことが残念だ。
もしもチェルノブイリ原発の原子炉を覆うシェルターが破損したら、そこから巻き上がる放射性物質が風で流されるが、その向きは北東の確率が高く、下手するとモスクワだって危ない。なにせ1000kmの距離でも危険範囲なのだ。チェルノブイリ原発事故(1986年4月)では、図2の左上のよう中部スウェーデンにまで放射能雲がやって来て、平方メートル当たり100kBq(キロベクレル)以上の汚染をもたらしたほどだ。これはトナカイやキノコが食べられなくなるレベルである。
逆に言えば、チェルノブイリ原発は「ウクライナへの脅し」には使えない。ロシアも管理に気をつけなければならない共通の厄介施設だ。実際、ロシア占領下でも現時点まで異常は起こっていない。そういう視点で情報を精査すれば、多くの誤報やデマをフィルターに掛けられよう。例えば、チェルノブイリ破壊をにおわせるような「未確認情報」を報道するメディアは、すべて疑ってかかるぐらいでちょうど良い。
たとえば、ウクライナ大統領府がロシア軍のチェルノブイリ原発占領を「欧州最大の脅威の一つとなる」と宣伝したが、これは世論誘導のための「偽」情報だ。その影響だろうか、報道等では「原発を守るのはウクライナだけ」「ロシアの進軍で放射線量が増えたのはロシアが破壊したから」という誤報が先行してしまった。
放射線量が増えたのは、地面に降り積もっていた放射能が進軍でまき散らされたためで、そこに破壊行為は存在しない。これは放射線関係者ならすぐに分かることで、ウクライナの原子力規制当局(大統領府ではない)もそのように解説している(2月25日ロイター)。フェイクはロシア発情報に限らないのだ。
ちなみに、チェルノブイリ原発は、全基とも廃炉済みだから、短い期間なら目を離しても壊れたりしない。しかし、シェルターのメンテなどのための保安要員は